参列者制限の平和祈念式典 唯一の被爆者代表、工藤武子さん 多くの思い乗せ臨んだ「平和への誓い」

式典後に報道陣に囲まれ、他界した家族や今後の継承活動への思いを語る工藤さん。スクリーンに映し出された平和祈念像の前で「平和への誓い」を読み上げることができた

 台風6号接近の影響で、60年ぶりに屋内で開かれた9日の平和祈念式典。参列者を制限する異例の形で今年も祈りの時間を迎えた。工藤武子さん(85)=熊本市=は被爆者代表として式典に参列。戦後を生き抜いた家族や会場に集まれなかった多くの被爆者の思いを乗せ、「平和への誓い」の大役を果たした。

 7日午前。工藤さんは、長崎市内の納骨堂にいた。78年前に共に被爆した両親らが眠る祭壇に手を合わせ、こう語りかけた。「家族の代表として生きて、みんなの平和の思いを言うことができます。ありがとう」。2日後、長崎市の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げた。
 〈強烈な閃光(せんこう)が走り、防空壕(ごう)に駆け込んだ瞬間、地響きのような音がして私は母にしがみつきました〉
 冒頭に語った被爆体験。当時7歳の工藤さんは、爆心地から3キロ地点にある片淵町2丁目(当時)の自宅にいた。母ヨシさんと姉文子さん、弟の哲也さんと成清さんの4人も一緒。勤務先で被爆した父清さんは家族の無事を確認すると、爆心地近くで親戚2人の遺体を荼毘(だび)に付した。
 残留放射線にさらされた清さんは被爆14年後、肝臓がんで逝った。工藤さんと同じ場所で閃光を見たヨシさん、文子さん、哲也さんに加え、胎内被爆の正子さんもがんで他界。3年前、工藤さんも肺がんを患った。「ただの大きな爆弾ではない」。放射線被害の恐怖を身をもって知る一人として、式典で世界に警鐘を鳴らした。
 〈地球は、核兵器によって破壊され汚染される危機にさらされています〉〈地球と人類の未来を守るには核兵器廃絶しかない〉
 工藤さんは自身が被爆者でありながら、別の被爆体験の“伝承者”としての顔もある。受け継いだのは、熊本原爆被害者団体協議会(熊本被団協)の元会長、深堀弘泰さん(昨年2月に96歳で死去)の記憶。長崎の「救援列車第1号」に乗り壮絶な救護活動に当たった体験を、「祖父が孫に語る」というストーリーの紙芝居に仕立てた。
 紙芝居の制作や公演には「熊本被爆二世・三世の会」の青木栄会長(62)や、熊本選出の高校生平和大使が協力。2017年から被爆地長崎の外で、継承の裾野を広げてきた。小中学校で講演を重ねるたびに、こう思いを強くする。
 〈子どもたちが戦争に巻き込まれ、私たちと同じ苦しみに遭うようなことがあってはならない〉

 紙芝居の最後の一ページは、長崎の平和祈念像の写真。特別な思いがある。
 工藤さんは「平和への誓い」の代表者公募に、17年から7年連続で応募。自宅にも祈念像の写真を飾り「必ずこの前で読む」と心に決めていた。がんに冒されながらも必死に生きた家族の「原点」が、ここ長崎だった。
 今年の平和祈念式典は、台風の影響で多くの被爆者が参列できず、工藤さんは唯一の「被爆者代表」として核兵器廃絶を訴えた。大役を終え「家族が見守ってくれたと思う」と穏やかに語った。全国の被爆者の平均年齢と同じ85歳。長崎に来るのは「今回が最後になるかもしれない」。それでもまだ、やるべきことがある。紙芝居活動の継承。「これから次の世代へ伝える活動に、力を入れていきたい」。先を見据えた。

熊本の中学生に、紙芝居を通じて長崎原爆の実相を伝える工藤さん=7月19日、熊本県菊池市

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