長崎市出身 ラグビー元日本代表・中尾隼太 「次の舞台」目指して進化

「自分のベストバージョンを更新し続けたい」と語る中尾=長崎市、長崎新聞社

 地方の国立大学からトップリーガーとなり、昨秋、日本代表として国際試合に出場した中尾隼太(長崎市出身)。異色のキャリアを持つラガーマンは現在、リーグワンの東芝BL東京の主力として結果を出し続けている。来月開幕するワールドカップ(W杯)メンバーからは外れたが、2027年の「次の舞台」を目指して進化を続ける28歳に、これからの目標、W杯への思いなどを聞いた。

 -昨年の春、初めてジャパンに招集された。率直な感想を。
 リーグワンのプレーオフのころ、招集が正式に決まった。正直、信じられなかった。

 -出身大学は関東、関西のトップチームではなく、地方の鹿児島大。経歴が異質で「サクセスストーリー」などと言われて注目された。どんな思いだったか。 注目されるのはすごくうれしいことだけれど、その中に入ったら関係のないこと。1人のアスリートとしてしか見られてない。そういう自分の背景とかは完全に切り離して考えていた。

 -実際にジャパンの合宿に参加してみて。
 プレーオフが終わってすぐの参加。1年間、リーグワンで戦って、精神的にも肉体的にも疲れている時期だった上に、すべてのスタンダードが高い。ついていくのが精いっぱいだった。その状態で自分の力を見せなければいけない。ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフから「何かを考えて、何かを出そうというのじゃ遅い」と言われた。途中でコロナ離脱もあり、不完全燃焼だった。

 -そんなジャパンでのスタートだったが、再び招集された。
 「ジャパンのラグビーに合うように体を作り替えてこい」というのがジェイミーの要求だった。ジャパンはスピードとフィットネスを世界一にして戦うというラグビー。6~7キロ絞って合宿に参加した。でも、東芝はコンタクト。接点に強いラグビー。僕も他の10番(SO)との差別化はそこだった。今振り返れば、そこまで合わせる必要はなかったのかなと。今は普通に90キロある。

 -その状況でもキャップ(日本代表として国際試合に出場)を獲得した。ジャパンのジャージーで戦った感想を。 オーストラリア戦はやっぱり気持ちが奮い立った。国歌を歌って感情的になるという経験はなかった。試合では自分のパフォーマンスは出せた。その中でキックがどれだけ成長しているか、どれだけジャパンのラグビーにフィットできているかを見られていた。その合格点に達していなかったのかなと理解している。

 -そして1月下旬、代表スコッドから外れた。
 けがとかも続いて調子が整わず、リーグ戦もあまり出られなかった。でも、その中で何が一番大切なのかを気づかされた。やっぱり長所で戦わないといけないと。今季は学ぶところがたくさんあった。だから、次は絶対うまくいくような感覚がある。ターゲットは2027年W杯。4年間でプランニングしてそこに到達したいと考えている。

 -その時の年齢は32歳になる。
 僕は「マイナス4」で考えている。ほかの人たちと違って、鹿児島大の4年間があるから。けがもないし、体の能力もまだ伸びている。ちょうどベストな年かなと。

 -そのための4年間。何が必要か。
 究極は今できることにベストを尽くすしかない。そこで大事になるのが一つ一つのプラン。1年ごとのプラン、オフシーズンのプラン。心技体すべてバランス良く鍛えなければならない。今回、メンタルが重要だと分かった。過去に生きるわけではなく、未来に生きるわけでもない。そこに意志とプランがあれば、自然と到達点に導かれる。W杯で10番を着てラグビーキャリアで最高のパフォーマンスをする。それが自分のビジョン。

 -将来的な目標を。
 今、何にも決めていない。いろいろ考えてきたが、先のことよりも今の自分のベストバージョンを更新し続ける。結果、自分のレベルが上がれば、チャンスも広がる。だから今は、ラグビーに集中すべきタイミングかなと思っている。

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【略歴】なかお・はやた 長崎市出身。二つ上の兄の影響で伊良林小2年から長崎中央RSでラグビーを始め、桜馬場中時代は長与YRでプレー。長崎北陽台高1、2年時に冬の全国大会(花園)を経験した。鹿児島大4年時にセブンズ日本代表としてワールドシリーズに出場。卒業後は教員を志望していたが、採用試験の直前にトップリーグ(現リーグワン)の東芝から「まさかの誘い」があり、東芝に入社。2年目から主力となり、2022年春に日本代表に招集された。同年10月のオーストラリアA代表戦で先発出場、11月のフランス戦で初キャップを獲得。ポジションはSO、CTB。パスの正確さ、キックの判断、ディフェンス、ゲームコントロールにたけた司令塔。身長176センチ、体重90キロ。


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