県内、米軍空襲の全容まとめる 元県職員の蜂谷さんが30年超調査、書籍化へ

本県の空襲に関する史料などを調べ、規模や被害の全容をまとめた蜂谷敏さん=天童市奈良沢

 先の大戦での本県への米軍の空襲について調べている蜂谷敏さん(75)=天童市奈良沢=が、当時の攻撃や被害の規模などの全容をまとめた。これまで明らかではなかった攻撃を含め、犠牲者数や被害地域、米軍機の来襲規模なども整理し、書籍化する意向で、県内に残る傷痕が少なくなる中「多くの人が戦火にさらされ犠牲になったことを知ってほしい」と語った。

 蜂谷さんによると、本県は1945(昭和20)年の8月9、10、13の各日に米艦載機の空襲を受けた。標的とされたのは飛行場があった現在の東根、山形、真室川の各市町と、港があった酒田や米沢、鶴岡、新庄、村山、天童、尾花沢、河北、大石田、鮭川、川西、庄内の計15市町村。低空に飛来し攻撃する機銃掃射の他、220機から計328発の爆弾が投下されたことが確認できるという。死者は酒田港への機雷投下(同年6月30日)を含め、民間と軍属合わせて86~101人で、内訳は酒田市27~32人、東根市26~36人などとされる。

 蜂谷さんは県職員だった40歳過ぎごろ、自宅近くの地下壕(ごう)跡が軍需工場の名残だと知り、本県と戦争の関わりに興味を抱いた。空襲については、史料によって場所や規模がまちまちだったため独自に調べ始めた。休日に県内各地の図書館や古本屋を巡り、郷土史、証言記録、研究書を読みあさった。米沢市や尾花沢市などでは当時を経験した住民からの聴き取りもした。

 防衛省の防衛研究所戦史研究センター(東京)では旧日本軍の「防空情報」から本県への空襲について調べた。米軍の公文書も読み、国立国会図書館(同)にも通って、米海軍の空母から出撃した艦載機の種類や数、日時、攻撃目標を記した「戦闘報告書」(米国立公文書館所蔵)なども見て、実態を明らかにした。

 当時を知る人、経験した人だけでなく、県内に残る痕跡、傷痕も少なくなっている。30年以上調査を続けてきたのは「県内も戦場だったことを次世代に伝えるため」。「県史」などに記載がない空襲による被害も紹介している。終戦から78年が経過し、蜂谷さんは「本県への空襲の全容を通し、平和の尊さを考えてほしい」と話した。

© 株式会社山形新聞社