19万人が戦死した「ビルマの地獄」、記憶を後世に 祖父の体験語り継ぐ子・孫世代

ミャンマーで今里淑郎さんが僧籍を取得した際の写真。(右から)藤原淑子さん、今里さん、現地の僧侶ら=2006年、同国の都市モービー(藤原さん提供)

 太平洋戦争中に「ビルマの地獄」と称され、投入された約30万人の兵隊のうち、約19万人が命を落としたとされるビルマ(現ミャンマー)戦線。その記憶を後世に伝えるため、子・孫世代にあたる遺族が慰霊活動を引き継いでいる。兵庫県にゆかりのある2人の遺族に話を聞き、「継承」の現在地を探った。(小野坂海斗)

 「父は壊滅した先陣隊400人のうち、たった2人の生き残りです。『奇跡的に助かった命は慰霊のためにある』とずっと話していました」。過酷な戦場を生き抜いた同県宝塚市の故・今里淑郎(いまさと・しゅくろう)さんの思いを受け継ぐのは、三女の藤原淑子(よしこ)さん(68)。長年、父の裏方として慰霊活動に同行した経験から、後世への伝承や資料保存を進めている。

 戦友を慰霊するためにミャンマーで僧籍を取得した今里さんは、現地での活動にも力を入れていた。藤原さんもミャンマーでの追悼行事に参加し、日本人墓地などを訪れる慰霊巡拝に取り組んできた。

 近年は講演活動も開始。「北海道から九州まで、各地の日本兵がビルマで亡くなった。この事実を知り、自分事に感じてほしい」。悲惨な記憶が風化するのが心配で、全国各地で平和を訴えている。

 また、孫世代として活動する遺族もいる。乳製品メーカー「共進牧場」(神戸市中央区)の社長、中尾嘉延(よしのぶ)さん(50)は、ビルマ戦線から生還した祖父の故・中尾作蔵さんに聞いた戦争体験を語り継いでいる。

 戦時中ミャンマーの人たちに助けられた祖父が、恩返しのために設立したNPO法人「神戸ミャンマー皆好会(かいこうかい)」の理事長も兼務。同会ではミャンマー語(ビルマ語)勉強会や、現地をめぐるツアーなどを実施し、草の根交流を進めてきた。

 ただ、2021年のクーデター後は現地入りが困難に。中尾さんは「世界各地で争いが続く中、戦争の悲惨さや平和の大切さを次世代に伝えたい。国内でもできることを細く長く続けていく」と話している。

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