H2Oリテイリング荒木社長、大赤字の20年に就任「食品事業を第2の柱にする。覚悟を決めました」

グループビジョンの言葉は「やっぱり『楽しい』がまず一番だよね」と話すH2Oリテイリングの荒木直也社長。書は、ダウン症の書家金澤翔子さんが揮毫(きごう)した=大阪市北区梅田1(撮影・斎藤雅志)

 全国2位の売上高を誇る百貨店「阪急百貨店梅田本店」を筆頭に、スーパーなどを含め500店舗超を構える関西の巨大流通グループ、エイチ・ツー・オー(H2O)リテイリング(大阪市)。神戸市出身、在住の荒木直也氏が社長に就いたのは2020年4月1日。新型コロナウイルス禍が日本経済を凍り付かせる荒波の中だった。

 就任の6日後に最初の緊急事態宣言が発令され、百貨店は休業を余儀なくされました。過去最大の最終赤字という結果になりましたし、どの事業会社も現場は大変な思いをしました。一方で、僕にはトップとしてなすべきことがあった。「企業、グループとしてどう乗り切り、どこへ進むのか」。この命題に、ひたすら向き合った1年間でした。

 コロナ禍で生活様式も大きく変わってしまった。仕事も学校もリモート、買い物はデジタルで済ませる。百貨店のリアル店舗や好立地という強みが、意味を失ってしまう可能性すらありました。

 他方、食品スーパー事業は、コロナ禍前から大きな課題を抱え、19年度は大きな赤字。八方ふさがりと言っていい状況だった。その中で、百貨店への依存体質から脱却するために食品事業を「第2の柱」にするんだと。赤字から営業利益100億円を稼ぐ事業に変えるんだと。覚悟を決めました。

 決断するまでに、スーパー100店舗を回り、現状をつぶさに見て、構造改革会議を繰り返し、考え続けて…。スーパー運営の基本であるチェーンオペレーションを根本からやり直すことを決めました。

 21年7月、新たな中期経営計画と、30年までの「長期事業構想」を発表。百貨店やスーパー、商業施設といった関西の既存事業を磨き上げ、新たな市場や事業への進出を目指す方針を掲げた。成長戦略を具体的に伝えるため、「市場」と「事業モデル」において、それぞれ「既存」から「新」へと発展させていく姿を四つの象限の図で表現し、発表した。

 長期事業構想は、僕がほぼ一字一句書きました。それまでの中期経営計画などの数値もご破算にして、全く新しく絵を描き直したんです。4象限の図も自分で書いたんですよ。これからはデジタル活用を進めて店舗と連携し、お客さまの課題を解決するサービスを開発しながら、(21年に開業した中国の)寧波阪急を大きく育てる。既存事業に依存せず、新たな領域へ踏み出す姿勢を明確にしました。

 グループの針路を考え続けた1年は、常にプレッシャーを感じていましたね。

 関西エリアでシェア拡大を図る「関西ドミナント化戦略」を掲げるH2O。阪急と阪神の2百貨店をはじめイズミヤや関西スーパーマーケットなど、経営統合を重ねて、規模を拡大してきた。

 この15年、統合を繰り返してきた、ちょっと特殊な経緯の会社ですが、寄り合い所帯のままでは駄目。事業会社や働く人たちのベクトルを合わせないといけない。そう思って、社長就任時、というか10日くらいフライングしちゃったけど、考え抜いた「グループビジョン」を掲げました。それが「『楽しい』『うれしい』『おいしい』の価値創造を通じ、お客様の心を豊かにする暮らしの元気パートナー」です。

 ビジョンを共有し、浸透させるため、多様なツールも駆使している。社内報は、紙からスマホのアプリに切り替えて、毎日、記事や動画を更新しています。グループのほかの会社の人がどんなことを考え、行動しているのか。一員である誇りや喜びが、グループ2万7千人の一体感につながるよう、心を砕いています。(聞き手・広岡磨璃)

 時代を駆ける経営者の半生や哲学を紹介するマイストーリー。9人目は、H2Oリテイリングの荒木直也社長に語ってもらう。

【エイチ・ツー・オーリテイリング】1929(昭和4)年に阪急百貨店が開業、47年に株式会社化。2007年阪神百貨店との経営統合で持ち株会社制に移行し現社名に。17年にそごう神戸店(現神戸阪急)を承継。14年にイズミヤ、21年に関西スーパーマーケットを子会社化。23年3月期の連結売上高は約6280億円。

【あらき・なおや】1957年、神戸市葺合区(現中央区)出身。雲中小、六甲中高、京大経済学部卒。81年阪急百貨店。郊外店舗開発室長、阪急阪神百貨店社長を経て2020年現職。同百貨店会長も務める。最近の息抜きは中国歴史ドラマや小説「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」シリーズ。神戸市在住。

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