珠洲の廃業病院に頭蓋骨 20数年前閉院、戦前医学校の教材か?

6月に頭蓋骨が見つかった病院だった建物=珠洲市宝立町

 珠洲市宝立(ほうりゅう)町で6月、閉院して二十数年が経過した病院の建物内で頭蓋骨が見つかり、人骨と鑑定されたことが同市などへの取材で分かった。町内では5年前にも別の開業医宅で頭蓋骨が発見されている。戦前の医学校では教材として人骨が使われており、専門家は「医師本人か関係者が研究材料として持ち帰った骨ではないか」と指摘。市は引取先を探している。

 珠洲市などによると、6月に骨が発見された病院は個人の運営で、医師が亡くなったことに伴い廃業した。建物は長年そのままにされていたが、親族が取り壊そうと病院内を調べたところ、木箱に入った頭蓋骨が見つかった。

 県警の鑑定で、歯には塗料が施され、頭部が磨かれていたことが分かった。このため、標本として使われていた可能性が大きいとして「身元不明の死者」として市に引き渡された。親族の男性は骨の入手経路について「心当たりがない」と話している。

 2018年には、この病院の近くにあった別の病院の医師宅でも頭蓋骨が見つかった。段ボール箱に入れられ、チョークで印が付けられており、医師の親族によると、かつて医療機関で教材として使用された骨と言い伝えられてきたという。

 18~19年には石川をはじめ、全国各地で学校の骨格標本が本物の人骨と判明するケースが相次いだ。

 解剖学者の坂井建雄(たつお)順天堂大特任教授は、戦前の医学校では解剖した人体で骨の標本が作られていたとし「当時医学校に所属した医師が骨を持ち帰り、今になって見つかった可能性がある」と推測する。

 園田寿(ひさし)甲南大名誉教授(刑事法)によると、1949(昭和24)年に遺体の解剖と保存を定めた死体解剖保存法が施行されるまでは、引き取り手のない遺体が医学校に提供されることがあった。

 園田氏は建物の解体や遺品整理の際に見つかったことから「珠洲のケースは氷山の一角。かつて教材だった人骨を持つ医療関係者は他にもいると思う。人口減で医療施設が閉じられたことをきっかけに骨が見つかったと言える」と話した。

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