京アニ大賞は「上りのエスカレーター」 青葉被告の半生ヒストリー【京アニとの接点編】

青葉真司被告

 36人が死亡、32人が重軽傷を負った京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件で、殺人などの罪に問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判の第4回公判が11日、京都地裁(増田啓祐裁判長)で開かれた。7日に続いて被告人質問があり、青葉被告は派遣社員として働いていた工場を辞めて国家財政の先行きに懸念を深める一方、小説執筆に没入し、京アニに思いを傾けるようになった経過について語った。弁護側への質問に答えた。

 弁護側は5日の初公判で、犯行は「青葉被告の人生をもてあそんだ『闇の人物』への反撃だった」と主張していた。事件当時は妄想性障害の影響によって、心神喪失か心神耗弱の状態だったとして、無罪か刑の減軽を求めている。

 青葉被告は2008年ごろ、派遣社員として勤務していた栃木県の工場を自ら辞めた、と説明した。理由について、「派遣切りが来ることを明確に確信していたから」と述べた。

 青葉被告はその根拠として、リーマンショックが来ることを把握していたこと▽会社の日本支社長が他工場を閉鎖すると発言したこと▽当時の故与謝野馨経済財政担当大臣による多額の赤字国債に関する発言ーなどを挙げた。

 青葉被告は日本の財政破綻を案じ、与謝野大臣に対して「国民は気付いていない」などと警告するメールを送った、という。そして、そのメールによって「経済破綻が回避された」と主張した。

 また、青葉被告は、日本を財政破綻させるという世界的なシナリオがあったと持論を展開。小泉純一郎元首相ら政治家がCIA(米中央情報局)に狙われたとし、「東京はスパイ帝国で有名。アメリカのスパイ、中国のスパイとか、そういう人がいるので、狙われる危険があった時期だと思う」と話した。

 青葉被告は栃木の会社を辞めた後、レンタルオフィスでの生活を経て、2008年2月、茨城県にある雇用促進住宅に移った、という。

 2009年2月からは、郵便局に当時勤めていた兄の勧めで、青葉被告も別の郵便局で働き始めた。ただ3カ月ほどしか続かなかった。その理由について、自らが起こした2006年の女性宅侵入事件に言及し、「(事件について)兄がおしゃべりで有名なおばちゃんにも話したので、やっていけないんじゃないか」と思ったという。

 郵便局を辞めた後、昼夜が逆転した生活を送り、生活保護を受給する中、京都アニメーションのアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を見て小説を書き始めた、と青葉被告は振り返った。「犯罪をばらされると生活がそのつど不安定になる。小説に全力を込めれば暮らしていけるのではないかと思った」

 青葉被告は、小説の発表方法について当初、ライトノベルの小説コンクールを考えた、と説明した。およそ2年かけて小説を書いたといい、「考える時間は24時間365日かけた」と記憶をたどった。

 だが結局、このコンクールには応募しなかったという。下がり目だったと判断した。一方、京アニがアニメの原作を公募する「京都アニメーション大賞」は始まったばかりの頃で、「『上りのエスカレーター』に乗りたいと思った」と胸の内を明かした。

 「(京アニ大賞は)立ち上がったばかり。自分で前例をつくれば、足跡をつくっていけると考えた。ハルヒを見たから、というのもある。ここなら最高のアニメが作れる。最高の物語を作れると考えた」という。

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