長崎くんち 傘鉾のベテラン棟梁・中川さん急逝 後継者はおい 本番は「思いつなぎ、美しく」

練習用の傘鉾を担ぐ宮本さん=長崎市柳谷町

 諏訪神社(長崎市上西山町)の秋の大祭「長崎くんち」に向けて準備が進んでいた7月下旬、長年、踊町の先頭に立つ傘鉾(かさぼこ)持ちを務めていた棟梁(とうりょう)の訃報が届いた。柳谷(やなぎだに)組の中川禎浩さん=享年(61)=。4年ぶりの今年、万屋町を担当し、後継者が案じられていたが、おいの宮本隆さん(38)が引き継ぐことに。「『傘鉾は町そのもの』という叔父の思いをつなぎ、傘鉾を美しく見せたい」。悲しみを胸に秘め、本番に挑む。
 柳谷組によると、中川さんの祖父(故人)が約100年前から始め、3代目の中川さんは18歳から傘鉾持ちとなり、28歳の時、棟梁に。長崎傘鉾組合に属する6組の中で棟梁歴は最長だった。人望が厚く、踊町との調整役に徹していた。 親族にとっても、くんち関係者にとっても突然の別れだった。柳谷組内での話し合いを経て、新たな棟梁に選ばれたのが宮本さん。中川さんと同じく18歳から傘鉾持ちを務める。当時は体が細く、力も弱かったが、先輩たちに習った通りに担ぐうち、いつしか「安定感がある」と評されるように。体全体で担ぐ技術が身に付いたからこそ「どの町の傘鉾でも担げる」と自信が出てきた。
 本業は同市の精道三川台中高教諭。「(くんちの)3日間は町の人間として、恥ずかしくないように振る舞わなければならない」。中川さんがよく口にしていた言葉が胸に去来する。

10年前の長崎くんちの傘鉾パレードで、万屋町の傘鉾の紗振りをした中川禎浩さん=長崎市興善町(中川貴能さん提供)

 万屋町の傘鉾は、タイなどの魚を長崎刺繡(ししゅう)であしらった市指定有形文化財の垂れ「魚づくし」。重さ約120キロ、担ぐと高さ4メートルを超えるため、バランスをとるのが難しい。
 稽古では同町のTシャツを着用し、練習用の傘鉾を担いで、歩いたり舞ったりして動作を確認している。今年は、担ぎ手だったこれまでと違い「棟梁として責任を持って万屋町の奉納に尽力したい」。前日(まえび)に向けて集中力を高めている。
 中川さんの長男、貴能さん(21)も担ぎ手だが、今年は喪中のため参加しない。これまで「くんち本番」で担いだ経験はなく、デビューは来年の予定。だが、憧れの父親の背中を追い、今年の稽古には参加してきた。「重い傘鉾をより重く」。父の言葉を胸に稽古を積んでいる。


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