未公開資料を多数収載 シーボルト書簡集、80年ぶり刊行 研究者の石山氏と梶氏

「シーボルト書簡集成」の表紙。絵は川原慶賀筆「シーボルト肖像」

 江戸時代後期に2度来日したドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866年)が、1823年の初来日から死去までに日本の家族や門人、関係者らと交わした現存の313通を網羅した「シーボルト書簡集成」が、今月刊行された。
 編者は共にシーボルト研究者で神奈川県相模原市の元東海大講師、石山禎一氏(86)と横浜薬科大の梶輝行教授(62)。シーボルトの書簡集刊行は約80年ぶり。未公開の資料や日本語訳などを数多く収めており、今後のシーボルト研究の進展に向けた重要な基礎資料となりそうだ。
 シーボルトは1823年、出島オランダ商館医として初来日。鳴滝塾を開いて門人に西洋医学を伝え、日本の科学的調査にも取り組んだ。長崎の女性たきとの間に娘いねをもうけたが、29年、国禁の日本地図などの海外持ち出しを図った「シーボルト事件」で国外追放に。開国後の59年に再来日し、62年に帰国した。
 シーボルトの書簡は末裔(まつえい)のブランデンシュタイン家(ドイツ)や国内外の研究機関などが所蔵。学術研究の資料となっているが、書簡集は143通収載の「シーボルト関係書翰(しょかん)集」(1941年)しかなく、誤訳や未訳も多かった。
 そこで石山氏と梶教授は、戦後新たに確認された資料を含めた現存書簡を網羅し、ドイツ語、オランダ語を翻刻した上で日本語に翻訳した新書簡集を計画。他の研究者の協力も得て3年かけて作業を進め、今年のシーボルト来日200周年に合わせて刊行した。
 「シーボルト書簡集成」は初来日翌年の1824年から死去直前の66年までの書簡を年代順に収載。このうちシーボルト事件に連座し獄死した天文学者高橋作左衛門(景保)との事件直前の往復書簡は、オランダ語原文からの邦訳を初めて収載。事件の発端となった2人のやり取りが克明になっている。
 口絵12点のうち、江戸後期の絵師石崎融思の「シーボルト肖像」(萩博物館所蔵)は2020年、個人所蔵品(当時)を2人が鑑定し、風貌や服装から初来日当時の肖像と判断した。ほかに出島出入り絵師川原慶賀の「シーボルト肖像」(板橋区立美術館寄託・歸空庵(きくうあん)コレクション)や一部書簡の現物など。
 両肖像は長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で30日開幕する「大シーボルト展」でも紹介される。
 梶教授は「初来日時のシーボルトと日本人との関係が書簡を通じてよく理解できる」と指摘。石山氏は「未公開資料を世に出すことで研究の発展につながれば」と話した。
 「シーボルト書簡集成」は八坂書房刊、A5判312ページ、4400円。

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