長崎被災協 語り部に初の被爆2世 家族だからこそ知る苦しみも

被爆者の母の写真を示しながら、講話に臨む柿田さん=長崎市岡町、長崎被災協

 長年にわたり被爆証言活動を続ける長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の語り部グループがこの秋、初めて被爆2世をメンバーに迎え入れた。これまで講話を担ってきた被爆者が高齢となる中、活動が難しい場合などに2世が代わりを務める。ただ2世たちは“代役”にとどまらず、「家族だからこそ知る被爆者の戦後の苦しみや生き方も伝えたい」と、新たな役割も意識している。
■ 人が人に
 グループは1999年に発足した「被爆体験を語り継ぐ会」。70~80代の被爆者15人ほどが語り部を続けているが、体調不良で急に活動できなくなる人もいる。一方で新型コロナ禍が落ち着き、講話依頼が急増。本年度は春と秋の修学旅行シーズンを中心に計約430件(予定含む)に上る見込みで、コロナ禍前よりも100件近く増えている。
 被爆者だけでは対応が難しくなる中、被爆2世4人が新たにメンバーとなる。親らの被爆体験を語り継ぐ長崎市の事業で「家族証言者」として活動していることが条件。被災協独自でも被爆証言を映像に残す活動を進めているが、田中重光会長(82)は「人が人に語る力は大きい。2世も語ることで学びを深め、継承活動だけではなく核廃絶運動への視野も広げてほしい」と期待を寄せる。
■ 思い代弁
 2世メンバーの1人は被災協の柿田富美枝事務局長(70)。2年前に97歳で亡くなった母親の被爆体験を家族証言者として語り継いできた。12日、佐賀県から修学旅行で訪れた小学生を前に、2世メンバーとして初めて約40分間の講話に臨んだ。
 「戦争ほど怖いものはない、原爆は二度と落としてはいけないと、母は何度も私に語った」。21歳で被爆し多くの友人を亡くした母親の思いを、そう代弁した柿田さん。市の「交流証言者」として被災協元会長の故山口仙二さんと故谷口稜曄(すみてる)さんの体験も受け継いでおり、この日は2人の活動や言葉も紹介。「2世として核兵器の恐ろしさや平和の大切さを、次の世代に語り継ぐ」と締めくくった。
 共に2世メンバーとなる佐藤直子理事(59)も家族証言者として、亡き父の池田早苗さん=享年(86)=の被爆体験を県内外100カ所以上で講話。生前の父がさまざまな病気に苦しみながらも、核兵器廃絶運動に奔走する様子を間近で見てきた。佐藤さんは「被爆者は、戦後の苦しみを自分からはなかなか話さない。長く活動を見て、理解している家族だからこそ、その思いも語っていきたい」と話す。

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