「これじゃあ57年かかるなと」姉ひで子さんポツリ…6時間に及ぶ初公判「5点の衣類は犯行直後に隠した」「重要証拠を次々とねつ造」検察と弁護真っ向対立【袴田事件再審ドキュメント】

開かずの扉といわれる「再審」が静岡地方裁判所で始まりました。57年前、静岡県旧清水市(現静岡市清水区)で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、一度は死刑が確定した袴田巖さん(87)の再審=やり直し裁判の初公判が始まりました。

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長年にわたる拘置で、心神喪失の状態にあるとして、袴田さんの出廷は免除され、本人不在で行われる異例の裁判。“補佐人”として、弟に代わり法廷に立った姉は、公判冒頭の意見陳述に57年分の思いを込めました。

いつもと変わらない様子で、再審初公判の日を迎えた袴田巖さんと姉のひで子さん(90)。司法に翻弄され続けた2人は、長年この日が来るのを待ち望んでいました。

<姉・袴田ひで子さん>
「やっと始まる。57年戦ってやっと再審開始になりまして。裁判って、わたし初めてなんですよ。だけど、別にびくともしゃくともしてない」

<河田太一平記者>
「静岡市清水区、57年前に事件があった現場です。いまはみそ製造会社はなくなり、事件の面影を残しているのは石造りの蔵だけです」

1966年、現在の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が刃物でメッタ刺しにされ、火を放たれて殺害されました。

事件の犯人として、逮捕されたのがこの会社の従業員だった袴田巖さん当時30歳。逮捕された袴田さんは、真夏の暑さの中、1日平均12時間にも及ぶ取り調べの末、一度は犯行を自白。

しかし、一審以降は一貫して犯行を否認して、無実を訴えましたが1980年に死刑が確定。姉のひで子さんをはじめとした袴田さんの家族や支援者、弁護団は無実を信じ、再審=裁判のやり直しを求め続けました。

そして、東京高等裁判所は2023年3月、検察側の重要証拠5点の衣類について「捜査機関によってねつ造された可能性が高い」などとして、ついに再審を認めました。

<滝澤悠希キャスター>
「裁判開始まで2時間半ありますが、すでに傍聴券を求める人が集まっています」

27日午前8時半、静岡地方裁判所周辺には、26枚の傍聴券に対して280人が並びました。その顔触れもさまざまなです。

<ラジオ・フランス&リベラシオン新聞 西村カリン記者>
「(海外でも)無罪になった場合は、すごく大きいニュースになるのは間違いない」

<傍聴を希望する高校生>
「ここまで続くというのは、いろんな人が関わって、試行錯誤していると思うので、世の中難しいなってあらためて思いました」

<滝澤悠希キャスター>
「午前10時27分。いま、弁護団が法廷に向かいます。その先頭には、姉のひで子さんの姿があります」

しかし、ここに無実を訴え続けた袴田さんの姿はありませんでした。袴田さんは長年にわたり拘置されたことで、精神的に不安定な状況が続いていて、現在も十分に会話ができないことなどから裁判所は出廷を免除。本人不在で行われる異例の裁判は、午前11時に開廷。袴田さんの代わりに姉のひで子さんが「補佐人」として法廷に立ちました。

検察が読み上げた起訴内容が事実か、裁判長に問われると、「考えて、細かいことを言おうと思ったんですが、長々いってもしょうがないと思った」というひで子さんは時折声を震わせながら、次のように事前に用意した文を読み上げました。

「1966年、静岡地裁の初公判で弟・巖は無実を主張しました。それから五十余年にわたり、紆余曲折、艱難辛苦がありました。再び、私も弟・巖に代わりまして、無実を主張いたします。どうぞ、弟・巖に真の自由をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」

本人の姿こそありませんでしたが、袴田さんが獄中から訴え続けてきたことでもあります。

獄中から家族にあてた手紙は、5000通に及びました。

「私は裁判所には無罪が解って頂けると信じています。我れ敗くることなし」

一方で、検察も57年前と同様に、「犯人は袴田さんしかいない」と有罪立証の姿勢を示しました。東京高等裁判所が「捜査機関のねつ造」とまで言及した5点の衣類については、犯人が着用したものであり、袴田さんが犯行直後にみそタンクの中に隠したなどと主張しました。その一方、確定審で重要な証拠となったいわゆる“自白調書”を外しました。

弁護側は冒頭陳述で「袴田さんのこれまでの人生を奪い、精神世界をも破壊してしまった責任は重要な証拠を次々とねつ造し、違法捜査を繰り返した警察にあり、無実を示す証拠を隠蔽した検察にあり、それを安易に見逃してきた弁護人や裁判官にもある」と指摘、検察は、有罪立証をただちに放棄するよう求めました。

休憩を挟んで6時間にも及んだ初公判。今回が90年の人生で初めての裁判だったというひで子さんは、閉廷後の会見で、思わずつぶやきました。

「裁判はのんべんだらりとやっているなと。公判で検察がやっているのをみて、これじゃあ57年かかるなと」

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