最後の蛇踊り

 今で言う「佐世保くんち」の昔のことを調べようと、33年前の紙面を探した。当時、佐世保勤めの新人記者で、演(だ)し物の特集記事を書いた覚えがある。今のように、書いた記者の氏名は記されていないが、読めば「あ、自分だ」と思い当たる▲市民総参加「おくんち」させぼ祭り-と当時は呼ばれた。〈蛇(じゃ)踊りは竜(じゃ)踊りにあらず〉。踊町の一つ、佐世保市栄町の蛇踊りのことを特集に書いている▲文は続く。〈戦国時代、松浦丹後守親(まつらたんごのかみちかし)は佐世保城主の娘、白縫(しらぬい)姫を熱愛したが拒まれ、力ずくで奪おうとする。怒りと悲しみで大蛇になった姫は海に消えた-。蛇踊りはこの伝説を守る役目も負う〉▲長崎くんちの呼び物をまねたのではなく、佐世保の伝説に由来する、と。大蛇と子蛇の担ぎ手、道行き踊り、裏方で〈総勢100人〉と書いている▲しばらく休止したが、2004年に復活した。その数年後の記事には〈60人が参加〉、きのうの地方版には〈蛇衆、囃子(はやし)方を合わせて約30人〉とある。担ぎ手の高齢化などにより、今年の佐世保くんちを区切りに披露を終えるという▲担い手不足はどこも同じだが、祭りの華が消えるという話に接するたび、何とも寂しくなる。いつかまた、若い人が花を咲かせてほしいと願いつつ、かつて取材で見入った蛇(じゃ)を見送ることにする。(徹)

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