17時間の幽閉試験!コンセルヴァトワールの名物「ミザンロージュ」とは?【榎政則の音楽のドアをノックしよう♪】

日本で最も有名な海外の音楽学校といえば、「のだめカンタービレ」でおなじみ、フランス・パリの「コンセルヴァトワール」ではないでしょうか。1669年にルイ14世が設立した「王立音楽アカデミー」を起源とし、世界で最も古い音楽学校です。フランス出身の有名なクラシック音楽家はほとんどがこの学校を出ていると言っても過言ではありません。

「コンセルヴァトワール」は「保存する場所」という意味ですが、パリの芸術家の精神としては世界の最先端の芸術を牽引したいという気持ちも強く、伝統と革新の二面性を持っている学校です。

そんなコンセルヴァトワールには伝統的な幽閉試験「ミザンロージュ(mise en loge)」という試験が今もなお残っています。その試験の様子を筆者の体験談とともに紹介していきましょう。

入試で味わう8時間と12時間の幽閉

「ミザンロージュ」が課されるのは主に「エクリチュール科」です。一人一部屋が与えられ、ピアノを弾いてよい場合と、弾いてはいけない場合があります。 入試は、「ミザンロージュ」のお試しのようなところがあり、まず初日に8時間の試験があります。

受験者は午前9時45分ごろに廊下に集められ、説明を受けたら、お弁当や水分、筆記具だけを持って他の荷物は学校に預け、それぞれの受験者がそれぞれの部屋に通されます。

部屋の広さはおよそ3畳から4畳ほど。大抵の部屋には窓があり、外からの光も入りますが、窓のない部屋もあります。中にはガムテープで弾けないように閉ざされたアップライトピアノと、1m四方程度のテーブルと椅子が置かれ、そのうえにはA4の問題用紙と大きな五線紙が何枚も置かれています。

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問題は与えられた20~40小節程度の旋律に伴奏を付ける、といった類のものです。 午前10時に試験が開始されます。

部屋を出ることが許されるのは、試験官の付き添いのもとトイレに行く場合と、解答用の五線紙を追加で貰いに行く場合のみです。

また1時間に1度程度、窓から見回りに覗かれることになります。

試験時間は午後6時までですが、早めに終わった場合は先に帰っても構いません。帰った場合はもう二度と入室できなくなりますが、この幽閉から抜け出すことができる唯一の手段となります。

2回目の試験は、午前9時から午後9時まで。朝に部屋に閉じ込められてから、気付けば夕暮れの時刻となっています。(この試験は5月ごろにあり、この時期のパリの午後9時はまだ夕暮れです)

8時間・12時間の「ミザンロージュ」体験談

私は、1回目の試験はどんな問題が出ても確実に満点を取れる自信があり、1時間で解ける自信もあったため、お昼ご飯も持たずにこの試験に臨みました。午前11時半ごろには退出し、「早すぎる、あきらめたのか?」と試験官に笑われましたが、清々しい気分で試験を終えることができました。

しかし、2回目の試験は、思ったより問題が長く、問題用紙を見た瞬間、12時間をどのように時間配分し、何時までにはどこまで終わらせていなければいけない、という計画を立て、一心不乱に書き続けなければいけませんでした。

右手はペンを握るだけでも痺れるような痛みが走り、糖分と水分を補給し続けても脳が干されていくような感覚になり、試験が終わったころには疲労困憊でした。

1回目の試験と2回目の試験ではそれほどの落差がありましたが、無事に合格し、エクリチュール科に入学します。そして、伝統的な「ミザンロージュ」をこれから味わうことになります。

伝統的な17時間の「ミザンロージュ」

「エクリチュール」は英語の「writing」にあたり、「伝統的な書法に基づいて楽譜を書く」ことを研究する分野です。「ピアノ科」や「作曲科」といった華のある科に比べると、研究が主体のため地味です。一方で、「音楽分析科」のように、論文を書くことを主体にしているわけでもありません。位置付けとしては中途半端ですが、伝統的なクラシック音楽を学ぶ上では避けて通れない基礎的な分野でもあります。

そんな「エクリチュール科」が、コンセルヴァトワールの中で最も存在感を発揮する日があります。それが学年末試験の「ミザンロージュ」です。この日に限っては、学校はエクリチュール科の学生以外は誰も立ち入ることができず、不気味なほど静かな空間となります。

試験時間は、伝統的に午前6時30分から午後11時30分までの17時間です。コンセルヴァトワールには実質年齢の下限はないため、14歳や15歳の受験者もいます。全員平等に17時間です。 片道1時間以上かかるちょっと遠方から通っている人は、始発が無かったり、終電が無くなっていることもあるため、近くに宿泊する場合もあります。

持ち込みは外部との通信ができる電子機器や、ノート・教科書類以外であれば基本的に自由です。

学生は、スーツケースや巨大なリュックサックで1日分の食料と水分、そして枕や毛布も用意して持ってきます。17時間の「ミザンロージュ」は、入試とは違い、人数も限られているため、広い部屋が与えられます。ピアノ椅子を3つほど並べれば簡易ベッドが出来上がりますし、運が良ければソファー付きの部屋に当たることもあります。なにより、集中力を回復させるための仮眠は必須なので、ほとんどの人が枕を持ち込んでいると思います。

部屋に入ると、同じようにA4の問題用紙が1枚と大量の五線紙が置いてあります。試験内容によってはピアノを自由に弾いてよい場合もあります。その場合は、しっかりとしたグランドピアノである場合がほとんどです。

基本的には何時に帰っても良いのですが、問題が長いため、早い人でも午後9時頃までは書き続けています。また、17時間の試験がそもそも貴重なため、ぎりぎりまで試験を楽しむ人も多いようです。

17時間の「ミザンロージュ」体験談

私はこの17時間の試験が本当に大好きでした。まず、前日の準備から楽しくてしかたありませんでした。この試験は3度ほど受けたことがありますが、大体以下のような感じです。

まず、朝昼夕の全ての食事を用意する必要があります。朝はサンドイッチにヨーグルト、果物を用意します。お昼は、日本食スーパーで買った食材でお弁当を作り、インスタント味噌汁も用意します。夜はお湯を注げば食べられるようなインスタント食品やスープなどを用意します。

水は4Lを用意しました。そのまま飲むのはもちろん、お茶やコーヒー、味噌汁やインスタント食品には欠かせません。そして、お湯を沸かす必要があるので、給湯器も持参しました。(通信可能な電子機器にはあたらないため)

お茶碗やコップもいくつか用意し、キッチンペーパーも持って行きます。部屋の中で簡単な料理をしてしまおうという魂胆です。

もちろん、毛布と枕は必須です。全身を温めて、快適な睡眠をとることができるようにお気に入りの寝具を持参します。

それからフランスといえばワインは欠かせません!夕食の頃にはもう頭も疲れ切っているでしょうし、リフレッシュとリラックスが必要です。また試験中にする乾杯はまた格別なのです。

試験が始まったら、まずは時間の配分を考えます。場合によっては乾杯なんてしている暇は無いかもしれません。 それから、問題を頭のなかに叩きこんで、横になって解答を脳内でイメージします。必要なことは紙に書き留めておき、そのまま30分ほど仮眠して頭をクリアにします。

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起きて朝食をとっていると、隣の部屋からピアノの音が聞こえてきます。注意書きには「ピアノ弾く場合はできるだけ静かな音で」などと書かれていますが、もう思いっきり練習でもしているようです。それを聴いたら、同じ曲を弾き返して対抗します。10分ほどピアノ・バトルを楽しんだら身体も温まって、指も回るようになってきたので、いよいよ書き始めます。

入試のときの反省を活かし、ペンを握る力はできるかぎり抑えます。

書いているときは一瞬で時間が経つものです。昼になったらお弁当を広げます。電子レンジを持ってこなかったことを少し後悔しながらも、お湯を沸かし、あたたかい味噌汁を飲むことができるのは格別です。

とっておきの和菓子と緑茶で一休みしてから、また午後5時頃まで書き続けます。この時間になると、試験終了時刻を気にし始めることになります。午後9時までは明るいので、日が落ちてしまえばもう残り時間はわずかだからです。

手が痛くなりそうなときはピアノを弾き、脳の疲労を感じた時は、チョコレートを食べて紅茶を飲んで20分仮眠、これを繰り返し、午後8時頃に夕食の準備をします。

いままで書いてきた内容を見返し、残り数小節で終わることを確認したら、待ちに待ったワインをグラスに注いでゆっくりと飲み干します。

軽い運動をして、ラストスパート。部屋の外からは、ストレス発散のために弾いているようなピアノも聞こえてきます。

午後11時に書き終わり、何度も確認を終え、「ミザンロージュ」が終わる最後のひと時まで味わいます。

7割ほどの学生が最後の時間に提出し、またみんなスーツケースや巨大リュックサックを回収し、終電近い夜のパリで帰路に就きます。

デジタル化する中での伝統

ここで書いた楽譜は、そののちに家でパソコンで書き直さなければなりません。あきらかなミスなどはその時修正することが可能です。手書きの楽譜と、パソコンで綺麗に書いた楽譜両方を審査員に渡し、学生がそれを演奏して点数が付けられていきます。

実際に17時間閉じ込められる試験のほかに、家でパソコンで書く試験もあります。伝統のエクリチュール科にもしっかりデジタル化の波が押し寄せてきていますが、17時間の「ミザンロージュ」は守り続けています。

この経験は特別なものですし、歴史的な作曲家と同じ試験を受けているということにちょっとした誇りを感じることがあります。

私の大好きな試験「ミザンロージュ」のお話でした。(作曲家、即興演奏家・榎政則)

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 榎政則(えのき・まさのり) 作曲家、即興演奏家。麻布高校を卒業後、東京藝大作曲科を経てフランスに留学。パリ国立高等音楽院音楽書法科修士課程を卒業後、鍵盤即興科修士課程を首席で卒業。2016年よりパリの主要文化施設であるシネマテーク・フランセーズなどで無声映画の伴奏員を務める。現在は日本でフォニム・ミュージックのピアノ講座の講師を務めるほか、作曲家・即興演奏家として幅広く活動。

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