ベートーヴェンが「自由」を求め、表現した「交響曲第九番」【榎政則の音楽のドアをノックしよう♪】

12月になると日本中で演奏されるようになる曲がベートーヴェンの「交響曲第九番」です。「第九(だいく)」と略されることも多く、特に合唱部分の「歓喜の歌」は世界で最も有名な旋律といっても良いかもしれません。また、クラシック音楽の頂点のように言われることも多いです。しかし、実際には「第九」はかなり変わった曲です。ベートーヴェンの創造力に注目しながらこの曲を楽しんでみましょう。

実験的な曲

合唱付きの「第九」があまりにも「交響曲」として有名ですが、通常「交響曲」といえば、楽器のみの合奏で演奏する曲のことを指します。「第九」は4つの楽章からなり、その1~3楽章は伝統的な「交響曲」と同様に楽器の合奏のみで演奏されます。

なお、楽章とは、それだけとりだしても楽曲として成立する大きなまとまりのことで、楽章が2~5個程度集まって一つの大きな曲となることがあります。通常、楽章と楽章の間は演奏が止まり、10秒くらいの休みがあります。しかし、曲が終わっているわけではないので、拍手をしたり、席を立ったりはしないのが伝統的な作法です。

「第九」は全部演奏すると70分ほどもある巨大な曲で、第一楽章約15分、第二楽章約10分、第三楽章約15分、第四楽章約25分と、それぞれの楽章を取り出しても長大な曲です。

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そして、それぞれの楽章が、何かしら伝統から逸脱した部分を持っています。 第一楽章は冒頭からいきなり「空虚5度」といわれる、クラシック音楽では避けるべきとされている和音から始まります。神秘的な音ですが、どことなくSFチックな響きに聞こえるかもしれません。

第二楽章はティンパニと呼ばれる音程付きの太鼓が大活躍する曲です。この曲はニ短調なので、通常はティンパニを「レ」と「ラ」に調律するのですが、この曲では「高いファ」と「低いファ」に調律します。この二つの音はティンパニの最高音と最低音で、荒々しく勇壮で、素晴らしい効果を挙げますが、伝統的な音楽とは程遠い響きです。

第三楽章は「第九」全体でみれば平和な雰囲気の曲ですが、二重変奏曲という珍しい構成であるほか、緩やかな楽章のなかでもトランペットやホルンが特徴的に活躍するという、当時では珍しい実験的な音楽になっています。

しかし、やはり最も異質なのは「歓喜の歌」が登場する第四楽章です。「第九」が書かれた19世紀前半は「交響曲は音楽のみで純粋な美を追究すべき」という価値観が強かった時代でした。詩という具体的な言葉を合唱に歌わせるのは、ベートーヴェンの知名度と、作曲の技術が圧倒的に優れていて、そこに実験的な創作意欲があったからこそ為しえたことだと思います。

「第九」は56年の生涯を送ったベートーヴェンが53歳のときに書いた曲です。聴力は完全に失われ、持病も悪化し、肉体的にも精神的にも限界であったはずですが、これほどの大作を、実験的な手法を用いながら、随所に遊び心が見られる形で書き上げたというのは想像を絶することだと思います。

ところで、第四楽章の冒頭には、第一楽章から第三楽章までの否定という、劇的な部分があります。今でも多くの曲が名曲として愛されているベートーヴェンが、それまでの技術を集大成させて書いた「純粋な音楽」を否定し、誰にでも歌えるような簡素な「歓喜の歌」を持ってくるところに何かしらの思いがあったことでしょう。

これは、創作家の視点で考えるととてつもない事です。自分の人生をかけて得てきた全てのものを注ぎ込み、世界中の誰にも真似できないような大作の完成を目前にして、それを否定するというのは、どれほどの決意と覚悟があればできることなのでしょうか。

ぜひ、この機会に「第九」を第一楽章から通して聴いてみてください。

歓喜の歌

詩人・劇作家・思想家であるシラーは、常に「自由」を求めていました。18世紀は、民衆の自由を求める空気がヨーロッパ全土に生まれつつあった時代です。1785年にシラーがドレスデンに住む、自身のファンの元を訪ねたとき、初対面にもかかわらず手厚いもてなしと支援を受け、それに感動して書いたという、素朴な動機で作られたのが、「歓喜の歌」でした。

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しかしその詩は「自由」に対する希望と、神聖さを兼ね備えている、力強い詩です。 始めの8行を引用してみましょう。(訳は著者によるもの)

Freude, schoner Gotterfunken, 喜びよ、神々の美しい輝きよ、 Tochter aus Elysium 楽園の乙女よ Wir betreten feuertrunken. 私たちは炎のように酔いしれて入ろう。 Himmlische, dein Heiligtum! 崇高なるものへ、あなたの聖域へ!

Deine Zauber binden wieder, あなたの魔法が結びつけるものは、 Was die Mode streng geteilt; 時流によって分断されたもの Alle Menschen werden Bruder, 全ての人は兄弟となる。 Wo dein sanfter Flugel weilt. あなたの優しい羽や休まるところで。

この部分は、「第九」の最も有名な旋律に乗せて歌われます。非常に簡素で歌いやすく、ドイツ語の響きとも綺麗に調和します。ドイツ語の読みは少し難しいですが、ほとんどはローマ字読みでそのまま読むことができますので、ぜひ旋律に乗せて歌ってみてください。

この詩はフランス革命のシンボルとなった歌(現フランス国歌)「ラ・マルセイエーズ」に乗せて、学生を中心に歌われるようになりました。ベートーヴェンも若い頃にこの詩に出合い、いつか音楽にしたいという気持ちを持ち続け、彼の人生の集大成のような作品に仕上げたのですね。

日本では年末の定番に

日本では各自治体が年末に「第九」を演奏する、というのが定番化しています。夏から秋にかけて合唱の募集が始まるところが多いかと思います。

合唱部分は決して簡単では無く、歌の経験が全くない状態では難しいですが、練習がしっかり企画された初心者歓迎の「年末第九」の募集もあります。

合唱に参加して歌う解放感は何物にも代えがたい特別な感動があります。

今年の参加はもう難しいかもしれませんが、上で書いた8行だけでも歌えるようになると、「第九」をより自分の音楽として楽しめるようになるかと思います。

また、来年は勇気を出して「第九」に参加してみるのも良いかもしれません。(作曲家、即興演奏家・榎政則)

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 榎政則(えのき・まさのり) 作曲家、即興演奏家。麻布高校を卒業後、東京藝大作曲科を経てフランスに留学。パリ国立高等音楽院音楽書法科修士課程を卒業後、鍵盤即興科修士課程を首席で卒業。2016年よりパリの主要文化施設であるシネマテーク・フランセーズなどで無声映画の伴奏員を務める。現在は日本でフォニム・ミュージックのピアノ講座の講師を務めるほか、作曲家・即興演奏家として幅広く活動。

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