ホークス買収、ホテル経営…ダイエー多角化の誤算 「安売り哲学」で流通業界トップ、バブル期経た盛衰

売上高が1兆円に到達し、Vサインで喜ぶダイエーの中内功氏=1980年2月16日、神戸市生田区(現中央区)

 「よりよい社会、地球のために。(環境保全は)まだ間に合うはずであります」

 昨年12月、東京・神宮前で開かれたイオン環境財団主催の「SATOYAMAフォーラム」。財団理事長を務めるイオン会長の岡田元也(72)は、業界トップ企業として、環境活動に力を注ぐ気概をにじませた。

 父卓也(98)らが1969年に設立したジャスコ(現イオン)社長に97年、45歳で就任。今は取締役兼代表執行役会長として300以上の企業群を率いる。

 岡田が表舞台に立つ前、流通業界には別の盟主が存在した。神戸から業界をけん引したダイエー創業者、中内功(故人)だ。

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 戦後の焼け野原。物資がなく、戦争の最前線で感じた渇望から、あるいは焦土から再起を期した商魂から、食料や薬など生活必需品を運び販売する経営者が、流通業界に次々と現れた。

 イオンと双璧をなす流通大手セブン&アイ・ホールディングス創始者の伊藤雅俊、ライフコーポレーションを創業した清水信次、関西スーパーマーケット創業者の北野祐次(いずれも故人)…。中でも中内の残した足跡は際立つ。

 実家のサカエ薬局を経て、1957年、大阪・千林に「主婦の店・ダイエー薬局」を開業。神戸・三宮に2号店を出店し、自らの哲学である「よい品をどんどん安く、より豊かな社会を」を基本理念に、大量に安く仕入れて安く販売して成長した。

 苦労したのは仕入れ先の開拓だった。牛肉でも安売りで評判を得たが、周囲の精肉業者がこの値段で売り続けられては無視できないと、枝肉業者に圧力をかけ、仕入れられなくなった。

 枝肉業者の所へ直接出向くと、数人が将棋盤を囲んでいた。「ダイエーの中内やが、誰か枝肉売ってくれんか」。1人、2人と去っていったが、残った1人が「あんたがダイエーの中内さんか。わしが枝肉売ったろか」と引き受ける。

 消費者ニーズに応じて衣料品、家電と、販売品目を拡大した。だが市価より安く売ると、メーカーによっては「やめてくれ」と申し入れてきて、断ると店頭で品物を買い占められた。

 販売を続けるためダイエー専用の商品をつくって、それを安く売ることを提案。プライベートブランド(PB)商品につながった。

 高度経済成長に乗り、72年に売上高で大手百貨店の三越を抜いて小売業トップになる。80年には小売業で初の売上高1兆円を達成。87年には47都道府県に出店を果たした。

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 80年代前半ごろから本業の枠を超えて多角化を進める。プロ野球南海ホークスやリクルートを買収。新神戸オリエンタル、神戸メリケンパークオリエンタルホテルを開いた。

 「このころ、財務担当者から不安の声が漏れ始めた」。元ダイエー社長代行の高橋義昭(68)が話す。既に70年代後半から、売上高が前年実績を割る店が増加。さらにバブル経済絶頂の89年から展開した新業態の安売り店「ハイパーマート」も不調だった。

 「ハイパーマートは次期社長と目された長男、潤副社長(当時)の直轄プロジェクト。中断や撤退は難しかった」と振り返る。

 そしてバブルが崩壊。元日営業や24時間営業といった開店時間の延長などで収益拡大を図るが、大きな成果は得られなかった。95年の阪神・淡路大震災による500億円の被害も重荷となった。

 97年度決算で経常赤字に転落。中内は2000年に会長を辞任し、ダイエーは04年に自主再建を断念、産業再生機構の支援が決まる。翌年、中内は再建の行方を気にかけながら神戸で息を引き取った。=敬称略=(広岡磨璃)

岡田元也氏(おかだ・もとや)】1951(昭和26)年、三重県出身。ジャスコ(現イオン)設立時の社長岡田卓也氏(現名誉会長相談役)の長男。79年入社、97年社長。積極的な海外展開や事業買収を進め、イオンの小売業界ナンバーワンの地位を確立した。20年から会長。

イオン】1969(昭和44)年、それぞれ地方の小売企業だった岡田屋、フタギ、シロの3社が共同出資し、共同仕入れ会社ジャスコを設立。70年、岡田屋がフタギなどを合併し、社名をジャスコとした。74年株式上場。89年イオングループを発足し、01年社名もイオンに。現在は約300の企業を擁し、23年2月期の連結営業収益は約9兆1168億円。

中内功氏(なかうち・いさお)】1922(大正11)年、大阪市生まれ。神戸高等商業学校(現兵庫県立大)卒。太平洋戦争での従軍後、実家の薬局勤務を経て57年ダイエー創業。82年会長兼社長、00年会長辞任。日本チェーンストア協会会長や経団連副会長を歴任した。05年、83歳で死去。

ダイエー】中内功氏が1957(昭和32)年、「大栄薬品工業」を神戸市長田区で設立し、大阪・千林に1号店「主婦の店・ダイエー薬局」を開業。70年から現社名。71年株式上場。80年に売上高1兆円を達成。経営不振から2004年、産業再生機構による支援を受け、13年からイオン傘下となった。23年2月期の営業収益(単体)は約2916億円。

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