中古の車いす100台をシリアへ 長崎の下田さん、海野さん「助けたい」思いも一緒に

医療機関や個人から寄せられた車いす=長崎市茂木町

 2月に発生したトルコ・シリア大地震の被災者に向け、中古の車いすを贈る活動が長崎市で進んでいる。長崎県内の医療機関や個人の協力で約100台が集まり、年の瀬に発送作業を終えた。発生から1年となる来年2月までにシリアへ届けられる予定だ。
 活動のきっかけは15年ほど前の出会いにさかのぼる。在京のシリア人ジャーナリスト、ナジーブ・エルカシュさん(50)は、長崎原爆の取材で同市を訪れていた。市内の飲食店で偶然居合わせたのが、下田貴宗さん(47)=シモダアメニティーサービス社長=、海野泰兵さん(47)=海野清掃産業社長=の幼なじみの2人。社交的な性格同士で意気投合し、定期的に連絡を取り合う仲になった。
 大地震後、2人はナジーブさんから窮状を伝えられた。内戦下のシリアは地震で負傷者がさらに増加。車いすが不足していると聞き、2人は現地に贈ろうと思い立った。ただ、どうやって集めればいいのだろうか-。知恵を借りるため、知人に紹介してもらった長崎大の河野茂学長(当時)に相談することにした。
 桜の花が舞うころ、学長室を訪ねた。河野さんは彼らの熱意を受け止め、「できることがあれば協力したい」と快諾した。大学病院の教授に対し、関連の医療機関も含めて声をかけるよう指示。医療機関の倉庫に眠っていたり、交換時期を迎えていたりしていた車いすが寄せられた。活動を知った市民にも輪が広がり、多くの善意が集まった。
 下田さんは、大学を訪ねた時の光景が忘れられないという。桜吹雪の下、ナジーブさんがカメラを回し始めた。「原爆で何もかもが無くなった長崎は今、こんなに美しい街になった。(母国は)ボロボロの状況だが、いつか…」。涙があふれ、何度も撮り直した。その姿を目にした下田さんは「絶対に(活動を)やり遂げる」と心に誓った。
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 12月中旬、小雨が降る中、大型トラックの荷台に次々と車いすが積み込まれていった。「今回は車いすというモノだけでなく『誰かを助けたい』という気持ちも一緒に。小さな活動だけど、少しでも平和を願う思いが広がればうれしい」。作業を終え、下田さんはすがすがしい表情でトラックを見送った。
 海野さんは職業柄、本来は処分されるはずだった車いすに、次の活躍の場が生み出されたことに可能性を見ていた。業界の若手経営者の全国組織の会長も務めており、「田舎でもこれだけできた。車いすに限らず、本来捨てられるモノを生かす動きを全国にも広げていけるのではないか」。
 河野さんも「国際貢献として(不用になった車いすなどを)適切な時期に必要な地域へ届けるシステムがあっていい」と次の展開に期待を寄せた。
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 同国への今後の支援活動は未定だが、できることを続けていく予定だという。ナジーブさんは「2人は広い心で、いつも『大丈夫、大丈夫』と私に気を使わせない優しい支援をしてくれた」と感謝し、続けた。「原爆から復興した歴史のある長崎には困っている人に手を差し伸べる心がある。シリアの街も元に戻る日が必ず来る。その時は、私たちも『長崎の心』を忘れないようにしたいと思う」

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