〈1.1大震災~連載ルポ〉「2度も家追われるとは」 高齢化著しい富来

損壊した住宅が並ぶ通り。「危険」を示す赤いステッカーが目立つ=7日午後1時40分、志賀町富来領家町

  ●「危険」の赤紙多く

 住宅や商店が甚大な被害を受けた志賀町富来の中心部では、被災建物の応急危険度判定が進み、玄関、外壁には赤、黄、緑のステッカーが張られていた。倒壊を免れた住宅でも、傾いたり、ひびが入ったりして、「危険」を示す赤色が多い。17年前の能登半島地震で家が損壊し仮設住宅に暮らした住民も少なくなく、「ようやく再建したのに、また家を失うなんて、悔しい」と悲痛な声が聞かれた。(羽咋総局長・高野淳)

 「もうこの家にも住めんかね」。富来領家町に住む上田とめ子さん(83)が自宅の赤い紙を見て力無くつぶやいた。屋根には広い範囲にブルーシートが張られているが、雨で屋内は水浸しという。

 富来は2007年の能登半島地震でも被害が大きく、仮設住宅で過ごした住民も多い。上田さんもその一人で、当時住んでいた山あいの集落、鵜野屋の自宅が全壊した。2年間の仮設暮らしを経て、ようやく手に入れた富来領家町の住宅に夫の石太郎さん=19年に84歳で死去=と移り住んだ。

 今回は自宅前の草むしりをしていた時に地震に遭った。「前の地震なんか比べもんにならんくらいひどかった。地面に、はいつくばることしかできんかった」

 ついのすみかとなるはずだった家を離れ、富来中に避難した。「まさか2度も地震で家を追われることになるなんて」。毎日、家の様子を確認に来る生活だ。

 富来地域は高齢化が著しい。避難所ではお年寄りが身を寄せて励まし合う。「みんな、なんで2回もって思っとる。避難所生活は大変やけど、なんとか、くじけんようにせんなん」と気丈に語る上田さん。それでも、17年前に支え合って苦境を乗り越えた夫はいない。それが、寂しくつらい。

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