宇治川決壊で「朝には湖に」 町全域水没の歴史、甚大被害への備えは

70年前の台風13号で水没した御牧村(現在の久御山町)=1953年9月27日

 1953(昭和28)年9月の台風13号で宇治川の堤防が決壊した際、全域が水没した京都府久御山町(当時は御牧村、佐山村)。盆地で最も低い場所にある上、大きな河川に囲まれた地理的特性から、ひとたび氾濫すれば甚大な被害が想定される。町外への広域避難ができる体制づくりとともに、町内でも安全に逃げられる場所の確保が模索されている。

 「北の方から、水がザーッ、ザーッと流れて来た。朝にはえらい湖のようでした」
 佐山村の消防団員だった松村光朗さん(88)=同町佐古=が70年前を振り返る。月明かりの下、宇治川の水が白波を立てながら、干拓田へと流れ込む光景が忘れられない。

 浸水は広範囲にわたり、戦前に干拓された巨椋池の再現とも言われた。破堤した場所は京都市伏見区向島で、水が押し寄せるまでに数時間あった。

 「木津川が万一決壊したら、水はすぐにやって来る。今は急いで逃げる車で、道も混雑するでしょう」と、松村さんは危惧する。

 「巨椋池復活」の恐れは過去の話ではない。町のハザードマップでは、想定最大級の降雨で宇治川や木津川が氾濫すれば、ほぼ全域が浸水。特に木津川の場合に被害が大きいとみる。最大浸水深は5メートル以上で、川沿いの建物は倒壊の危険性もあるとする。

 人口約1万5千人の町は避難所に学校や役場など計7カ所を指定しているが、多くが浸水想定区域内にある。そのため町は隣接する宇治市や京都市方面への早期避難も呼びかけるが、安定した受け入れ先が町外にはない。

 そこで広域避難体制を確立しようと、町は2017年から府に支援を要請している。信貴康孝町長(58)は70年前の水害に触れ「母は舟で現在の陸上自衛隊大久保駐屯地(宇治市)まで避難した。久御山では水との闘いがずっと続いてきたが、広域避難は近年、大災害が多発する中で改めて考えられてきた課題だ」と語る。

 大規模水害に備え、自治体の枠を超えた避難の必要性は近年、全国で検討されている。近隣同士で協定を結び、避難先を確保する自治体もある。

 21年には国が広域避難体制実現に向けた基本指針を示した。調整役を担う府は避難計画策定を進める。過去の浸水被害を調査し、府内を流域ごとに10ブロックに分類。まずは府北中部の4市1町にまたがる由良川下流域をモデルとし、本年度中にまとめるという。

 ただ、避難所や移動手段など考慮すべき課題は多く、計画策定は容易ではない。久御山町は宇治川と木津川に挟まれ、近くで桂川が合流するため、複数の氾濫パターンを想定しなくてはならない。

 国は円滑な広域避難を進めるため「災害発生の恐れのある段階」など早期の調整や情報発信も必要とする。府災害対策課は「避難の必要性を通常より早く判断しなければならないが、その目安は難しい。注意報段階で避難指示は行えないのではないか」とみる。

 一方、町内の避難先確保も求められる。国は自治体外への避難が集中することによる渋滞や移動中の被災などのリスクを指摘する。外と内の両方で、安全に避難ができる体制が重要となる。

 町では現在、国土交通省の提案を受け、災害時の水防拠点として、高台の整備を検討している。候補地は宇治川左岸の西一口(いもあらい)で、堤防の高さまで盛り土し、町の防災拠点ともしたい考えだ。

 イオンモール久御山などの民間施設とも、災害時の避難所とする協定を結んでいる。信貴町長は連携できる企業を増やしたいとした上で「(町内外での)避難体制を充実させ、町民それぞれの実情に合わせた対応がでるようにしたい」とする。

 過去の教訓を生かし、備えをどう具体化するのか考えていかねばならない。

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