●旧兜(かぶと)小
穴水町甲(かぶと)地区にある旧兜小校舎の避難所。地震発生の前からこの校舎を拠点とする「かあさんの学校食堂」が避難者約220人に食事を提供している。作っているのは60~70代の女性たちで、中には自宅が損壊した人も。2013年にスタートした食堂は3月に「閉店」を予定している。「これが最後の仕事。あったかいものを食べてほしい」。厳しい寒さを迎える被災地に手料理のぬくもりが染み入る。(社会部・北村拓也)
9日、旧校舎を訪れると、バンダナとエプロン姿のメンバーと住民数人がテーブルを囲んで談笑していた。穴水支局勤務時代の8年前に何度も取材し、見慣れた光景だ。
●「無理せず頑張る」
メンバーの中には津波によって自宅が浸水した人もいる。だが、「かあさん」たちは強い。室木律子さん(68)=曽良=は「自分たちで3食を用意するのは難しいが、支援物資も活用し、無理のないように頑張っていきたい」と話す。
1日の地震で能登には大津波警報が発令され、穴水湾沿いにある甲地区の住民の多くが、旧兜小校舎に避難した。熊野信一区長(74)は「多い時で400人ぐらいいたかな。きょうも220人ほどおるわ」と言う。
今年でスタートから12年を迎えた食堂では、地元の食材を使って住民や観光客向けの食事、弁当を提供してきた。大型炊飯器や鍋、食器類がそろっていたので、避難所での調理に役に立った。メンバー6人のうち校舎に身を寄せた数人が地震発生当日の1日夜、米をたき、300食以上のおにぎりを振る舞った。
2日以降は地元の野菜入りのみそ汁やカレーなどを用意。米や食材は地元の農家や住民が持ち寄り、消防団が湧き水を調達している。
「寒い中で、温かい手作りの食事はうれしい。みんなで協力し、何とか頑張っとる」と熊野区長。校舎には物資が届くようになり、9日には自衛隊の炊き出しも行われ、支援の手が届き始めている。