●火入れ目前で窯全損、時を止めた工房 先人が再興「バトンを次の世代へ」
午後4時25分。珠洲市正院町平床の工房の壁に掛けた時計の針は地震の衝撃で発生直後の時を刻んだままだった。珠洲焼作家の篠原敬さん(63)=若山町出田(すった)=の工房は3年連続で揺れの被害に見舞われ、みたび窯が破損した。昨年5月の地震からようやく再建、1月に「初窯」を迎えるはずだった窯は全損、積み上げた数千個のレンガは無残に崩れ落ちた。しかし、「先人がよみがえらせた珠洲焼を途絶えさせるわけにはいかない」。篠原さんは再起を誓い、止まった時を動かそうとしていた。(珠洲支局長・山本佳久)
1995年に窯を構えた篠原さんは、ガス窯などでの制作が主流となる中、薪窯(まきがま)での焼成を続けてきた。溶けた薪の灰はガラス質の自然釉(ゆう)となって独特の黒みを生み出す。「作品の出来を炎に委ねたい」という。
窯は2022年6月の震度6弱の地震で基礎がゆがみ、2カ月かけて修復された。23年5月に6強を観測した奥能登地震ではレンガが崩れ落ちた。この時ばかりは廃業が頭をよぎったが、俳優の常盤貴子さん=本紙朝刊でエッセーを連載中=ら全国の珠洲焼ファンの応援を得て気持ちを持ち直し、昨年10月に窯の再建を果たした。
しかし、窯は一度も火を入れることなく再び崩れた。
元日は工房で東京で開く展覧会に出品する器を初窯で焼く構想を練っていた。激しい揺れに襲われ、外に出て、気が付くと窯が崩れていた。とっさに思った。「またやられた」。地震で自宅は住めなくなり、知り合いに紹介してもらった野々市市内のマンションに身を寄せ、工房と行き来している。
珠洲焼は15世紀末に姿を消したが、1979年に地元作家の手で再興された。それから四十数年、篠原さんは珠洲焼作家でつくる「創炎(そうえん)会」の代表を務める。後進を育てる立場だ。
地震後、創炎会の若手全員から「珠洲焼を続ける」という声が寄せられた。その言葉に背中を押され「受け取ったバトンを次の世代につなぐ」と篠原さん。工房からの帰り道、電動ドリルの音が聞こえてきた。再起に向け、工房を修復する篠原さんが山里に響かせる音は力強かった。