〈1.1大震災~連載ルポ〉塩水プール水消える 水泳・輪島の象徴 海岸隆起で海と断絶

地震の影響で海岸線が隆起し、海水が出入りできなくなり、水がなくなった鴨ケ浦塩水プール=18日、輪島市輪島崎町

 1960年ローマ五輪銀メダリストで、地元の英雄・山中毅さんも泳いだ「水泳王国・輪島」のシンボル「鴨ケ浦塩水プール」(輪島市輪島崎町)の海水が消えた。能登半島地震による海岸線の隆起は風光明媚(めいび)な外浦を一変させた。国登録有形文化財のプールの無残な姿に、地元住民は「めちゃくちゃや、あんまりや」とうなだれた。(政治部・北脇大貴)

  ●ローマ五輪「銀」山中選手も泳ぐ

 プールがある景勝地・鴨ケ浦につながる道路は東西側とも土砂崩れでふさがっていた。土砂を避けて岩場を歩くこと15分、プールに水はなく、縦25メートル、幅13メートルのプールは大きく感じた。縁のコンクリートは損傷、周辺の岩礁も広い範囲で隆起していた。

 東大地震研究所によると、周辺では海岸が1.4~2.2メートル隆起したとみられ、海からプールに海水を取り入れることができなくなった。

 鳳至町の50代男性は鴨ケ浦に置いたままの親類の車を確認するため、プール近くまで歩いてきた。男性は「ここまで景色が変わっとるとは思わんかった」と落胆した。

 プールは1935(昭和10)年ごろ、「海魚観賞用の水槽」として造られた。戦後になって、水泳の練習用に使うため、49年と55年ごろの2度、改修工事を行った。

 輪島は山中さんをはじめ、水泳で五輪選手3人を輩出している。プールは山中さんに続く選手誕生を願い、競泳に欠かせないターンの技術を磨くために設置された。2017年に亡くなった山中さんは生前、北國新聞社の取材に対し「輪島を離れた後、何かの催しに呼ばれて一度だけ泳いだ記憶がある」と答えており、水泳王国の原点ともいえる場所だった。

  ●文化財調査進まず

 塩水プールは2018(平成30)年5月に国登録有形文化財になった。輪島市教委文化課は被災者対応を優先して、文化財調査ができず、被害の全容を把握できていない。塩水プールのほかにも傷ついた輪島の宝があるといえそうで、心配でならない。

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