「なくなったものは数えきれない」 長崎・対馬市の合併から20年 住民は効果実感できず衰退 

シャッター街と化した通りを指さす佐護さん=対馬市上県町佐須奈

 「農協や銀行の支店、すし店、自動車整備工場…。なくなったものは数えきれんよ」。長崎県対馬市上県町佐須奈地区。シャッター街と化した国道沿いの目抜き通りを見渡し、長年電器店を営む佐護哲也さん(78)が寂しげな表情を浮かべた。
 かつて対馬北部を代表する港町として栄えた同地区。旧上県町役場に加え国・県の出先機関が置かれ、酒場やスーパーはにぎわった。潤沢な公共事業で建設業者も多く、それゆえに政争も激しかった。弊害はあったにせよ、町にまだ活気が残っていたのは事実だ。
 1990年代に入ると公共事業への依存体質から全国の自治体の財政事情は悪化。当時の対馬6町も行政のスリム化や財政改善を理由に2004年3月に合併し、対馬市が誕生した。
 だが佐護さんはこれを機に地域の衰退が一気に進んだと感じる。当時の新市建設計画は「アジアに発信する歴史海道都市」「行政にぎわいまちづくり先導ゾーン」「ワイルドタウン体験学習ゾーン」など希望に満ちた将来像を描いたが、「役場が支所になり、県などの出先機関が縮小した。行政職員がいなくなって余計に廃れた」と指摘する。「治安などを考えたら、せめて警察署や学校、今ある行政サービスは残してほしい。やっぱりわが古里がいいよ」

 昨年12月、定例市議会一般質問。ある議員が市の財政状況が厳しいと指摘し、過去に財政破たんした北海道夕張市を引き合いに「このままだと夕張の“二代目”になる」とただす一幕があった。
 これに対し比田勝尚喜市長は、収入に占める借金返済額の割合を示す「実質公債費比率」は22年度は7.7%だったと主張。「夕張市などは『早期健全化基準』の25%を超えていた。他の自治体のことをとやかく言えないが、対馬市の財政は厳しいながらも健全だ」と反論した。市財政課によると、「平成の大合併」で誕生した市町村を国が支援する「合併特例債」を活用し、対馬博物館の建設といった大型事業に着手できたという。
 ただ、佐須奈の佐護さんのように市民の肌感覚は少し異なる。厳原町の水産加工業、上原正行さん(78)も「合併効果で島が良くなったという実感を得られないまま、ここまで衰退した」と嘆く。
 では合併しない選択肢はあったのか。市長は昨年暮れの定例会見で「近年は人口が減った自治体への地方交付税がかなり落ちている。対馬市は合併したおかげで(財政的に)何とか乗り切ることができた」と強調した。
 合併によって一時的に持ちこたえているとしても、島の将来を見据えた建設的な議論はまだどこからも聞こえてこない。

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