〈1.1大震災〉珠洲の海、恋しや 富山市のホテルに集団避難

損壊した大兼政さんの自宅。戸や土壁が崩れ、家が傾いた=3日、珠洲市馬緤町(大兼政さん提供)

  ●「仮設でもいいから、帰りたい」

 「珠洲の海が見られんのは寂しい」。能登半島地震で大きな被害を受け、富山市内のホテルに集団避難している珠洲市民から、望郷の念がこぼれている。ホテルは、ふるさとから遠く離れた富山市の山麓にあり、周囲には雪で白くなった山々がそびえる。家族から避難を促され、生まれて初めて故郷を離れた高齢者もおり、「仮設でもいいから、早く珠洲に帰りたい」との声が漏れる。

 大兼政康秀さん(60)=珠洲市馬緤(まつなぎ)町=は自宅が傾き、住めない状態になり、20日に1次避難所の大谷小中学校から富山市に避難した。自宅は海が近く「波の音を聞きながら育ってきたので寂しいのは当然」と故郷に思いをはせた。

  ●元のところで居を

 ホテル住まいに不満はないが、生まれ育った珠洲をこのまま離れるつもりはない。「移住はしない。長丁場になることは覚悟しているが、早く家を修復して元のところで居を構えたい」と語り、代々受け継いできた家を守る決意を示した。

 今回、住民が避難してきた大谷地区は、能登半島先端部に位置し、日本海に面している。海に沿って道路が延び、多くの住宅が海の近くに建っている。

 住宅が損壊して珠洲市自然休養村センターに避難していた金田まつ子さん(84)=同=は自宅の戸が倒れ、雨漏りがしたため「長靴を履かんと家にもはいれんかった」と苦労を語った。ホテル生活は2月までをめどにしているが「それまでに次の住まいを考えんと」と不安をこぼす。

 同センターに滞在した知人の国永了子さん(82)=同=は家が損壊して住めない状態だといい、富山に避難してからも「夜はなんとなく寝られない。不安だらけや」とうなだれた。生まれてからずっと、馬緤町に住んできたといい「この歳になってふるさとをなくした。仮設でもいいから戻りたい」と絞り出した。

  ●干上がった海つらい

 一方、地震で地盤が隆起した影響で海岸が干上がるなど、慣れ親しんだ海の光景は変わり果てている。開敷豊彦さん(70)=大谷町=は、馬緤町の「ゴジラ岩」など海岸の地盤がむき出しになっていたことを思い浮かべ、「海が見えないことは寂しいけど、干上がった海岸を見るのもつらい」と声を落とした。

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