きょうスタート

 もう少し走りたくて夕焼けのグラウンドに残った主人公の少年、彼の影だけが黒い。履き慣れた靴が土を蹴り、土ぼこりが夕日にきらめいて、地面の感触が足の裏から伝わってくる…あさのあつこさんの小説「ランナー」冒頭の一シーン▲あさのさんは全能感に似た感覚を少年に語らせる。〈もしかしたらどこまでも走れるんじゃないか。どこかに果てがあるのなら、その果てまでも越えて…〉-長距離走者にはこんな瞬間があるのかもしれない▲どこまでも走れそうなベストの感覚をそれぞれに持ち寄って、受け持ちの区間にぶつけてくれるといい。郡市対抗県下一周駅伝はきょうスタート▲現在の所属チームを示すバラバラのユニホームがつなぐ故郷のたすきがいい。「がんばれっ」。一瞬で走り去ってしまう人に、一瞬だけ声援を送るために何十分も待ち続けてくれる沿道の観衆の温かさがいい。「県下一周」が4年ぶりにかえってきた▲取材に参加させてもらった年の取材車両のシートの硬さと冷たさを忘れない。大会は今年で長い歴史に幕を下ろす。フィナーレにふさわしい名勝負を-と書きかけたが▲妙な荷物や期待は好レースを妨げる重しにしかなるまい。冷たい冬の風を切って、中継所で待つ仲間のもとへ急ぐ…その姿だけで十分にドラマだ。走れ。(智)

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