能登地震発生から1カ月、岩手から思い寄せる 孤立や断水経験

東日本大震災の避難生活を振り返る大船渡市防災学習館で「局面は日々好転する」と能登半島の被災者にエールを送る田代節男さん(左から2番目)ら=大船渡市赤崎町

 苦しい避難生活が続く能登半島地震の被災地に、東日本大震災で避難所運営に奔走した住民が思いを寄せている。岩手県でも当時、道路が寸断された半島などが「陸の孤島」状態に。1カ月で停電や断水が解消され、暮らしが改善されていった経験から「落ち着きを取り戻すまで、もう少し」と励ます。直面する課題は日々変化していくが、コミュニティーを重視した対応で乗り越えるようエールを送る。

 能登半島地震は2月1日で発生から1カ月。石川県によると、30日時点で1万4512人が避難生活を送る。「毎日ニーズが変化するなどつらい日々だと思うが、避難者同士のコミュニケーションを密にして過ごしてほしい」。震災発生後、大船渡市赤崎町の漁村センターで避難所運営に携わった地元の田代節男さん(78)は自身の経験を重ね、能登の人たちを思う。

 道路が寸断され、陸の孤島になった同センターでは300人以上が避難生活を送った。田代さんが最初に「局面が好転した」と感じたのは、がれきに覆われた県道が開通した発災3日後。不便な生活に変わりはないものの、行政との連絡調整、必要物資の搬入が格段に容易になった。

 以降、医療チームの診療や入浴支援開始など、何度も局面の変化を体感。「支援者と届けられる物資に支えられ、今がある」との思いを持ち続ける。

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