珠洲の俳誌「風港」が3月号で終刊 沢木氏から続く「風」の灯消える 被災し「生活再建に時間」

風港1月号(左)と、「終刊のお知らせ」を掲載した2月号

 珠洲市を拠点とする石川県内俳壇3大結社の一つ「風港(ふうこう)」が3月で解散し、同名の俳誌も3月号で終刊することが決まった。能登半島地震で、県俳文学協会長も務める中川雅雪主宰(75)=同市=ら編集スタッフが避難生活を余儀なくされ、活動継続の見通しが立たなくなった。終戦直後、沢木欣一氏(後に俳人協会会長、北國俳壇選者)が金沢で創刊した俳誌「風」の灯を受け継ぐ名門の幕切れに県内の俳句関係者からは惜しむ声が上がった。

  ●スタッフの自宅全壊

 風港は300人いる同人・会員の約2割を珠洲在住者が占める。奥能登ならではの人々の営みや風景を俳句の特徴としてきた。しかし、今回の地震で中川氏は珠洲市上戸町南方の自宅が傾き、現在は隣の車庫で生活している。11人いる編集スタッフも自宅が全壊するなどし、既に7人が市外に避難した。

 地震後、通巻240号となる3月号の編集作業に着手したものの、スタッフの人手が足りない上、郵便配達が途絶えて投句が届かなかった。

 このため中川氏が七尾まで出向いて原稿をやりとりしたり、スタッフが地震で紛失した原稿の再依頼をしたりして発行のめどを付けたが、それぞれ生活再建の見通しは立たず。負担は大きいという。今後も活動を続けるのは困難と判断。昨年末にほぼ編集作業を終えて校了直前だった2月号に「終刊のお知らせ」を急きょ掲載することにした。

 何とか仕上げた3月号には苦労の跡がにじむ。これまで毎号、各地で開催された句会の作品を掲載してきたが、1月以降、句会を開けていない地域もあるため、能登以外の作品を中心に掲載した。内容は地震に関する句が多いという。ページ数は通常90~100ページだが、今回は66ページにとどまった。

 「風港」は、2004年に珠洲市の俳人、千田一路氏(22年死去)が「『風』の灯を北陸から消してはならない」と呼び掛けて創刊した。「即物具象(そくぶつぐしょう)」という、物事をよく見て、本質を捉えた俳句を理念としてきた。社会性俳句を掲げ戦後俳壇で一時代を築いた沢木氏が率いた「風」は同氏死去を受け2002年に終刊。石川県内で沢木氏の理念を引き継いだ子雑誌(こざっし)「白山」は、主宰の新田祐久(ゆきひさ)氏(旧寺井町)の急逝で04年に終刊した。以降、「風港」は両誌の流れをくむ俳句愛好者の拠点となってきた。

 会員からは「休刊にして復活の機を待とう」と思いとどまるよう求める声もあったが、中川氏は「生活再建には時間がかかる。1、2年引っ張ってもだめだったら申し訳ない」と苦渋の決断だったとした。ただ、会員の多くは今後も作句を続ける考えで、中川氏自身も「俳句は心の支え。私の人生も俳句抜きでは考えられない」と話した。本紙「文芸喫茶」の選者も続ける。

  ●他団体「非常に残念」

 今年創刊90年を迎える「あらうみ」(金沢市)の西田梅女(うめじょ)代表(76)は「非常に残念。まだ続けてほしかった」と話した。1972(昭和47)年に創刊した「雪垣」(金沢市)の中西石松(せきしょう)主宰(76)も「風港には能登の人たちがその土地を大事に思って詠む独特の趣があった。能登の句が減るのはさみしい」と語った。

 ★俳誌「風港」 珠洲市に発行所を置き、発行数は500部。句会の開催・指導ができる同人は県内外に140人。このほか160人が会員となっている。千田一路氏の後継者である中川雅雪氏は2019年から2代目主宰を務める。「気宇(きう)壮大にして志高く寛(ひろ)やかに」を掲げた作句活動を展開し、23年11月に創刊20周年記念全国俳句大会を開いたばかりだった。

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