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23日に訃報が伝えられた宇都宮市出身の振付師真島茂樹(まじましげき)さん(77)は、亡くなる前日に本県で講演するなど、精力的に活動していた。突然の訃報を受け、地元には悲しみが広がった。
真島さんが他界したのは22日。その直前まで、踊りで夢を与え続けた。上三川町で21日に開かれた同町主催の講演会で、市民約100人を前に夢を持ち続ける大切さなどを語った。最後は、参加者たちにマツケンサンバⅡの振り付けを教え、一緒に数回踊った。
講演を企画した町生涯学習センター職員の北條亮子(ほうじょうりょうこ)さん(52)は「とても元気な様子で、私たちへの対応も明るく丁寧だった。数年前に町内の中学校で講演した時のお話もされて、一つ一つの縁を丁寧に覚えている人だった」と振り返った。
突然の訃報に触れ、「信じられない。言葉が出ない。みんなが楽しめる夢のあるダンスを残してくれてありがとうと伝えたい」と別れを惜しんだ。
真島さんは「とちぎ未来大使」として、県内の中学校などで講演活動にも取り組んでいた。出身地・宇都宮市の佐藤栄一(さとうえいいち)市長は23日の定例記者会見で「テレビ出演を通じ、市の知名度アップに貢献してくれた。市にとっても大変誉れな方」と哀悼の意を表した。
同市江野町、日本料理店の元店主簗嶋俊夫(やなしまとしお)さん(80)は小学生の頃、真島さんと同じバレエ教室に通っていた。「真島君は抜きんでて上手だった」と振り返る。
当時、体が弱かった簗嶋さんは「男の子もいるから大丈夫」という親の勧めで、体力づくりのために近所のバレエ教室に入った。教室にいた唯一の男子が真島さんだった。真島さんは人一倍練習熱心で、のみ込みも早かったという。
十数年前。マツケンサンバⅡのヒット後、真島さんはテレビ番組の収録で、教室があった同市江野町を訪れていた。その時、久しぶりに再会したという簗嶋さんは「『覚えてるよ』と気さくに声をかけてくれ、帰り際には笑顔で『また来るね』とも。元気な印象だったのに突然のことで残念」と肩を落とした。