大河ドラマ「光る君へ」ゆかりの地を探せ 宇都宮二荒山神社や城址公園、登場人物と関わり

宗円が社務職を務めた宇都宮二荒山神社

 平安時代の(紫式部むらさきしきぶ)を描いたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送され、ゆかりのスポットが注目されています。実は街なかも登場人物と関わりがあるとか…。探ってみました。

 その登場人物とは、「七日関白」と呼ばれた藤原道兼(ふじわらのみちかね)。歴史の教科書でもおなじみの藤原道長(ふじわらのみちなが)の兄だ。大河ドラマでは、紫式部の母を刺殺するなど強烈な印象を残した。

 道兼のひ孫が宇都宮にいたというのだ。その名も宗円(そうえん)。1062年に宇都宮二荒山神社(宇都宮大明神)の社務職に就いたといわれ、一帯を支配したと伝わる。宇都宮氏の祖で宇都宮城は宗円の居館が起源ともいわれる。

 街なかの歴史を語る上で欠かせない存在だが、実は分かっていないことも多い。宇都宮に来る前は、近江石山寺の座主とされるが、そうではないという指摘や、道兼ではなく、道長のひ孫という研究者もいる。いずれにしても、平安時代に栄華を極めた藤原氏の子孫が宇都宮にいたというのは、宮っ子としては誇らしい。

 宇都宮短大の江田郁夫(えだいくお)教授(63)は当時の宇都宮について「東北や日光へ向かう交通の要所でした。鎌倉以前では、東日本で有数の都市だったと言えるでしょう」と説明。「宗円が来たことからも分かるように、宇都宮は京都とつながっていました。800年以上の歴史を持つ町場はそうざらにはない。古都というイメージをもっと持っていいと思いますよ」

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 宗円の痕跡を求めて宇都宮二荒山神社を訪ねた。金子宗人(かねこむねひと)権禰宜(ごんねぎ)(49)によると、神社は度々火災に遭い、残念ながら現存するものはないという。それでも明治期の「二荒山神社年表紀事略」には宗円の記載があると教えてくれた。

 平安時代にちなむものとして、拝殿にある「絹本著色三十六歌仙図」を見せてもらった。江戸から明治期に活躍した宇都宮の絵師、菊地愛山(きくちあいざん)の作で1886年に奉納された。

 三十六歌仙とは平安時代中期に藤原公任(ふじわらのきんとう)が万葉集以後の代表的歌人を選んだことに始まるとされる。公任は、道兼と親交があったという。思わぬところでつながった。

 ところで三十六歌仙図は1902年の台風で16枚が破損し、修復された。在原業平(ありわらのなりひら)の歌の文字は、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が補筆したと伝えられている。三十六歌仙図は祈祷(きとう)などで拝殿に上がった際に見ることができる。

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 続いて宗円の居館を探して宇都宮城址(じょうし)公園へ。「宗円の頃の遺構は見つかっていないんです」と市文化財ボランティア協議会の大塚雅之(おおつかまさゆき)会長(64)。宇都宮二荒山神社に続き残念だが、居館はこの辺りにあったと考えてよいという。

 宇都宮城址公園は宇都宮二荒山神社の南にあり、この間は「歴史軸」と呼ばれている。「『宗円の軸』と言えるでしょう。江戸時代よりも中世を感じられる道です。宗円は宗教家だったので、居館は神社のある神聖な場所ではなく、へりくだって造ったのでは」と大塚さん。

 歴史軸の途中には釜川に架かる「御橋(みはし)」がある。宗円はここでみそぎをして、神社に向かったのかもしれない。妄想が広がる。次は平安時代を感じながら歴史軸をたどろう。

宇都宮二荒山神社の拝殿にある「絹本著色三十六歌仙図」(市指定有形文化財)
宇都宮二荒山神社の南に位置する「宇都宮城址公園」。宗円の居館はこの辺りにあったとも考えられている
「歴史軸」の途中に架かる「御橋」。北へ進むと宇都宮二荒山神社がある

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