パテック フィリップのスターン社長「私ほど顧客を知る時計職人はいない」

中国・清朝最後の皇帝・溥儀(1906~1967年 )が所有していたパテック フィリップ「Ref 96 クォンティエム ルーン」。2023年5月、香港のフィリップス・オークションハウスで展示された (AFP/AFP or licensors)

スイスの 4 大独立系時計ブランドの一角を成し世界の時計ファンを魅了するパテック フィリップ。オーナー兼社長のティエリー・スターン氏がswissinfo.chとのインタビューで、時計のほぼすべてを自社製造し、販売を外部委託する理由を説明した。

パテック フィリップは、ロレックス、オーデマ ピゲ、リシャール ミルと並ぶスイス時計業界の「ビッグ4」だ。この4ブランドがスイス時計売上高の約半分を占める。

1社の売上高では同じジュネーブに本社を置くロレックスには及ばないものの、愛好家の間では最高かつ最高級の時計ブランドと名高い。「ノーチラス」といった看板モデルは転売市場で高値で売買される。

パテック フィリップは1839 年に創業し、1932年からスターン家が受け継いできた。従業員は世界で約3000人、うち2050人がジュネーブ本社で働く。ティエリー・スターン氏は1990年に入社し、2009年に社長職を継いだ。

徹底した秘密主義を貫くロレックス経営陣とは異なり、スターン氏は国内外メディアによく露出する。swissinfo.chは4月に開催された国際時計見本市「ウォッチズ&ワンダーズ2024」の会場で同氏にインタビューした。

swissinfo.ch : パテック フィリップはこの10年、どのような発展を遂げてきたのか?今後予想される変化は?

ティエリー・スターン:デザインに関しては我々のDNAを維持しつつ、時代とともに進化してきた。たとえば古典スタイルを維持しながら、ジーンズに着想を得た色のアームバンドなど革新的な色を製品に取り入れた。言い換えれば、父が持っていた非常に古典的な文化と、私が若い頃に抱いたアイデアを組み合わせることができた。私はもう53歳になったが。その結果、父や母、息子、娘たちに喜んでもらえた。

将来に関して、私はそれを占える水晶玉を持っているわけではないが、父が何年も前に立たされていたのと同じ状況にいる。若い社員たちにイノベーションの重要さを説きながら、同時にパテック フィリップの規範に忠実であろうとしている。顧客に驚きと満足を与え続けるため、革新と伝統を組み合わせることが極めて重要だ。

時計のムーブメントはどう進化しているか?

ムーブメントは時計の心臓部であり、常に完璧さ、精細さ、正確さを求められるこのコンポーネントで試行実験するわけにはいかない。私たちが達成した品質と要件により、ムーブメントを変えるリスクを取る必要は滅多に生じない。ただ年に2回はイノベーションを発表し、単に目新しい小物ではなく実用的であるよう努めている。

デザインに関しては目下、2027年に発売予定の製品を準備している。ムーブメントの開発サイクルはさらに長く、今は2038年に発売予定のイノベーションを開発中だ。時計メーカーのリーダーとして私は自らを追い込み、リスクを冒さなければならない。常に賭けではあるが、それが時計製造の魅力でもある。

あなたはよく「製造の垂直化」を強調する。たとえばポルシェは逆に、付加価値の80%を外部委託したうえでサプライヤーを徹底的に管理する。パテック フィリップがこうしたビジネスモデルを取らないのはなぜか?

当社には完全な工場があり、付加価値の95~98%が内製されている。もちろんネジやバンドは外部のサプライヤーから買い入れ、文字盤など生産ラインの一部を安全上の理由から外部企業と並行生産している。

だがそれ以上を外部委託することへの意味が見えない。最初から最後まで品質を管理する最善の方法は、たとえ高くついても全てを内製化することだからだ。仕上げや開発、研究に力を入れているため、これらの工程を外部委託することはできない。

ポルシェの戦略はコストを追求したものだと思う。いずれにせよ、ポルシェをパテック フィリップと直接比較することはできない。業界が違う。

大時計製造グループよりも独立系ブランドの方が成功しているのはなぜだと考えるか。

他のブランドは知らないが、パテック フィリップは製品と時計作り全般に注ぐ情熱が成功の源だ。当社はこの情熱を共有し、創設者のビジョンに沿って世界最高の時計を開発・表現することに誇りを持っている人材だけを採用している。

当社の成功のもう1本の支柱は、ブランドへの信頼性にある。1839年の創業から一貫して時計を作り続け、スイス時計を完全自社製造するという戦略を変えていない。何世代も前から当社と付き合いがある顧客や小売業者は、こうした一貫性の証人だ。

さらにパテック フィリップ経営陣は自分の職業に情熱を注ぎ、新しい時計のデザインに心血を注いでいる。自画自賛かもしれないが、それは紛れもない事実だ。

だがスウォッチやLVMH、リシュモンのような大手時計グループは、資金力と内部のシナジー(相乗効果)を駆使して収益を上げている。

独立している当社はもっと賢く、小さな船でやりくりすることで補わなければならない。幸いなことに、他の株主や取締役会と争うことなく意思決定できるため、素早い方針転換が可能だ。たとえば製品ラインの変更や予算ラインの調整も1分あれば済む。加えて、収支は我々自身のお金であり、管理しやすい。

当社には極めて有能な幹部がいる。大規模な時計製造グループ内で切磋琢磨してきた彼らは、意思決定の連鎖が短いパテック フィリップで働くことに喜びを感じている。結局のところ、社内に政治闘争はない。私が上司であり、私の代わりになる人は誰もいないことを誰もが知っている。

モルガン・スタンレー銀行のリポートによると、パテック フィリップは年間7万本の時計を販売し、年間売上高は20億フラン(約3400億円)に達する。「小さな船」とは言えないのでは。

独立・家族経営企業として当社はいかなる数字も公表していない。そうした推計がどのように作成されるのか疑問だ。とにかく、私はそのようなリポートを読んでいない。20億とはおだてられたものだが、実際にはその水準に達していないと言える。

複数の成功した時計ブランドが直接販売を重視している。パテック フィリップの戦略は正反対だ。

誤解しないでほしい。直販の重要性を強調する人々は顧客に近づくことを求めているのではなく、利ざやを全取りして稼ぎを増やすのが目的だ。私はパテック フィリップに35年勤めており、私ほど当社の顧客を知っている時計職人はいない。時計ブランドの社長も市場マネージャーも誰一人、私に反論することはできないだろう。

パテック フィリップは確かに小売店を通じて販売しているが、それは顧客に会わないという意味ではない。実際は逆で、小売業者が主催するイベントや工場訪問といった現場に常に出向いている。私はニューヨークやパリなど大都市だけでなく、テキサスの奥地までの小売業者や顧客に会いに行く。そんな時計職人は私だけだろう。

それだけ顧客との接触が多いならば、ジュネーブ、パリ、ロンドンで開かれる時計見本市サロンに出展するだけでなく、なぜ独自のブティックを設立しないのか?

なぜならそんな時間はなく、美しい時計を作ることにすべてのエネルギーを注ぎたいからだ。店舗を経営するよりも顧客と過ごす時間を大切にしている。家族企業としてそれは非常に重要だ。最後に、パテック フィリップを扱う小売業者は2~3世代にわたって提携しており、お互いのことを隅々まで知り尽くしている。

なぜパテック フィリップにはブランドアンバサダーがいないのか?

当社にとってのスターは時計だからだ。アンバサダーを置く意味が分からない。

パテック フィリップの時計の持ち主の中には、時計愛好家ではなく投機家である人もいる。どう対処しているのか?

投機家は成功の代償だ。好ましくないが、完全に排除することはできない。できる限り抑えるために、適切な時計を適切な顧客に販売するよう努めている。具体的には、小売業者に対し、よく知っている地元の顧客を優遇することを奨励している。結婚式や誕生日などの特別な機会に着用するために当社の時計を入手したいと考えている人々だ。だが当社の最高級モデルを求めて世界中を旅する投機家に販売しないことは法律違反となり、不可能だ。

成功を収めているスイス企業の一部(ビクトリノックス、ロレックス、世界経済フォーラム=WEFなど)はオーナーを財団化している。パテック フィリップもそうした選択肢はあるか?

目的が分からない。財団には株主がいないため統率を失う可能性があり、危険ですらある。私は現在、社長として全株式を保有しており、大きなやりがいを感じている。

185年前に創業した家族企業が今もなお1人の手で経営されるのは非常に珍しい。

確かにそうだが、それによって多くのことが簡素化される。重要なのは、最も適切な家族メンバーを選ぶことだ。たとえば私には子どもが2人いる。原則として、そのうち1人がパテック フィリップの社長職を引き継ぎ、全株式を保有することになる。当然のことながら、もう1人は何らかの形で補償を受け取る。

パテック フィリップは家族経営の会社であり、独立していることは基本的な価値観の1つだ。次世代をどう育成しているのか。

方法は1つであるとは思わない。むしろ3万6千通りの多様な方法がある。家族とその子どもの考え方によって変わる。あまり心配する必要はない。うちの場合、子どもたちの母親も私も特別なことは何もしなかったが、2人の息子は我々の事業のことをよく耳にして育った。

子どもたちが16歳になったとき、私は家業を継ぎたいかどうか考え始める必要があると告げた。進路選択を左右するからだ。だが私と子どもたちの母親は、もし何か他のことをしたいのなら構わないと伝えた。パテック フィリップを継いでほしいから子どもを持ったのではなく、愛のためだから、と。

このプレッシャーから解放された2人は、学校の成績が急上昇した。最終的には2人とも私と一緒に働くことを選んだが、それは素晴らしいことだと思う。

子どもたちはスイスの公立学校に通ったのか?

2人はスイスのエコール・モゼール(訳注:バイリンガル教育の小中高一貫校)、コレージュ・ドゥ・レマン校(訳注:私立寄宿学校)、そしてEHLホスピタリティ・ビジネス・スクールで学んだ。次男はマドリッドで4年間の勉強を始めたばかりだ。長男は今年初めにパテック フィリップに入社し、5年間の研修を受けている。仕事を通じて学ぶだろうが、その後のことは今後次第だ。

もし子供たちが誰も跡を継がなかったら、事業を売却する気はあるか?

絶対にない!そうなったら1世代分の中継役として、非オーナー家からゼネラルマネージャーを任命する。当社には非常に有能な幹部が揃っているから、私は何ら心配していない。

フランス語からのGoogle翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

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