女子プロレス界に突如現れた彗星 男装アイドル→舞台女優…異色キャリアの天麗皇希がマリーゴールドに入団するまで

必殺のアメジスト・バタフライを決める天麗皇希【写真:マリーゴールド提供】

「表舞台に立つ」夢を追い続けていた

女子プロレス界的には、突如現れた彗星といえよう。5月に旗揚げしたマリーゴールドにはアクトレスガールズから6選手が合流したが、その中でももともとプロレス向きといわれていた皇希(当時)の名前を見つけて「お!」と思ったファンは少なくないはずだ。彼女はその後『天麗(あまれい)皇希』と名を改めて、プロレスラーとしてデビューした。しかし彼女は、プロレスラーになるつもりはなかったという。(取材・文=橋場了吾)

皇希が常に目指していた者、それは「表舞台に立ちたい」ということだった。しかし、さまざまな条件が重なり、なかなか日の目を見ない時間が続いた。

「クラシックバレエを5歳から10年ぐらいやっていました。小学校のときはバレリーナになりたいとずっと思っていたんですが、この体格(現在身長170cm)だと日本でバレエを続けるのは相手方の男性が少ないこともありなかなか難しくて……。で、その後はバンドにはまって音楽をやっていました。担当はエレキギターで、高校時代は軽音楽部に入って、卒業後は音楽の専門学校に行ったんですが、もうレベルが違い過ぎて、自分で限界を感じて辞めてしまったんです」

その後、彼女はストリートダンスのパフォーマンスを始める。

「最初は趣味でパフォーマンスを始めたんですが、イベントに出たりしているうちに『男装アイドルをやりませんか?』と声を掛けられて。これは面白そうだなと思って話をしているうちに、舞台役者をやられている方とつながりができて、今の舞台女優の道につながりました。振り返ってみると、人前に立つ仕事をずっと目指していたんだなと思いますね」

舞台女優として多くの作品に出演する傍ら、舞い込んできたのがアクトレスガールズの話だった。皇希のアクトレスデビューは2022年2月ということになっているが、実はそれ以前の2021年2月のアクトリングプレ公演『宇宙海賊シェルオル』という作品のクラム役でリングデビューを果たしている。

「もともとプロレスは見たこともなく、ルールも知らなかったんです。でも舞台女優をしている中で、アクションをやりたいという気持ちはずっとあって。それでアクションにプロレスを絡めるという企画書をいただいて、それから興味を持ちました。好奇心旺盛な方なので、体験で練習に行って先輩方の受け身や技を見ていたら面白そうだなと思ってやることにしました」

身長170cm、恵まれた体格も大きな武器の天麗【写真:橋場了吾】

制限からの解放を求めてマリーゴールドへ

アクトレスガールズは2021年いっぱいでプロレス団体としての活動を終了し、22年2月から新体制としてプロレスの技術を用いたスポーツエンタテインメント公演を行っていた。アクトリングもリングで行う舞台の一環だったため、アクトレスガールズを退団するまで皇希は“プロレスラー”にはなっていなかった。

「これは(アクトレスガールズ時代の)お客さんにもずっと言ってきたことなんですが、実は私はもともとプロレスラーになる気持ちはなかったんです。『ほかの団体から声かけられるでしょ?』といわれることもあったんですが、実際に声をかけられたことはなくて『女優1本だからプロレスラーにはならないよ』と伝えていたんです。でも、今年の3月に自分自身団体に対して「あれ?」と思うことがあって、モヤモヤしていた部分があったんです。加えて全日本プロレスさんの大田区(2024.3.30/大田区総合体育館)に出場して、やっぱり大きい会場でやりたいという欲が出てきてしまって。2年ほどアクトレスガールズでやってきて、一番大きい会場でも後楽園ホールだったり、やりたい舞台や仕事もできないこともあったりで、いろいろと活動に制限がかかっていたので、最終的に退団を決意しました」

実は皇希の思いを後押ししていた人物がいる。マリーゴールドの創始者、ロッシー小川である。

「小川さんがスターダムを辞めた後に、風香さんとほかのアクトレスのメンバーと一緒にこれからの活動について相談したことがあるんです。その中で私は舞台やほかの芸能活動も続けていきたいという気持ちを伝えたところ、小川さんは、プロレスは狭い世界だから兼業レスラーを許容していかないと市場が広がっていかないという考えで。どんどんほかの分野で名前を売ってもらえればいいと。それなら私もプロレスラーとしてやっていけると思って、決断した部分もありますね」

(4日掲載の後編へ続く)橋場了吾

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