落語との出会いは修学旅行の飛行機の中… 四万十町出身 三遊亭萬都さん「二ツ目」昇進への思い【高知】

高知県四万十町出身の落語家、三遊亭萬都(さんゆうてい・まんと)さんが、このほど、「前座」から「二ツ目」に昇進しました。7月には地元・高知で落語を披露する萬都さんに、昇進への思いなどを聞きました。

高知県四万十町出身の落語家、三遊亭萬都(さんゆうてい・まんと)さん(34)。

5月21日、これまでの「前座」から「二ツ目」に昇進し、名前も変わって、落語家としての新たなキャリアをスタートさせました。

(三遊亭萬都さん)
「この度、二ツ目に昇進いたしまして帰って参りました。前座の頃は、四万十町出身で『三遊亭まんと』という名前でしたが、この度、二ツ目で名前が変わりまして、こちら、『三遊亭萬都』でございます。『萬(よろず)の都』と書いて、漢字の『萬都(まんと)』になります。ちょっとかっこよくなって帰って参りました。どうぞ、よろしくお願いいたします」

(京面龍太郎 アナウンサー)
「昇進おめでとうございます。お気持ちはいかがですか?」
(三遊亭萬都さん)
「いや~、うれしいのが半分と、緊張しているのが半分ありますね。『前座』の修業の間は自分の時間が全くないので、そういうのから『解放される』っていう意味では、『二ツ目』はうれしいですね」

四万十町・窪川出身の萬都さん、最初に落語に出会ったのは、“意外な場所”でした。

(三遊亭萬都さん)
「中学校の、修学旅行の“飛行機の中”ですね。人生初の飛行機だったんですけど、みんな(窓の)外を見てワ~!っとなっている中、僕だけずっと落語を聞いて…」

「最初に聞いたのが桂米朝師匠の落語で、『なんだこれは!』となって。全くそれまでの生活になかったので、聞けば聞くほど発見があって。(修学旅行から)戻ってきて、図書館に行って(落語の)CDを借りて…というような」

高校時代も趣味で落語を聞いていましたが、かなり“ハード”な生活を送っていたそうで…。

(三遊亭萬都さん)
「(旧)窪川町から高知追手前高校まで、通いで、(JRで)片道2時間かけて行くという生活を送っていて、最初は『運動部は無理だな』と思って、軽音部でバンドを組んでいたんですけど、途中からハンドボールにも手を出して…。片道2時間かけて通いながら部活動を掛け持ちするという、『よくやっていたな』と今でも思いますね」

その後、大学入学で上京し、卒業後は東京で“ホテルマン”として働いていましたが、落語への熱は冷めませんでした。

(三遊亭萬都さん)
「就職して、東京の池袋の近くに住んでいたんですけど、私の師匠(三遊亭萬窓)のさらに上の師匠、六代目・三遊亭圓窓が、社会人の落語教室をやっていて、最初は『圓窓と落語を一緒に聞く場』だと思って行ったんですけど、行ったら『いや、やるよ』って言われて…」

しばらくは働きながら“趣味”で落語をやっていましたが、27歳の時、大きな決断をします。

(三遊亭萬都さん)
「ずっと悩んではいたんですけど、なかなか(落語の世界に)飛び込む踏ん切りもつかず…。落語協会が『30歳までしか入門できない』ルールがありまして、27歳で、『これは…!』という焦りみたいなものもあって、それで師匠に(入門の)相談に行ったのが始まりですね」

こうして落語界に飛び込んだ萬都さんですが、通常より長い「前座」期間を過ごしました。(七代目・三遊亭萬窓に入門)

「前座」は、1年間ほぼ休み無しで師匠の家や楽屋での雑用をこなしながら、寄席で落語を喋って鍛える“修業期間”です。

(三遊亭萬都さん)
「『前座』生活はですね“自由が全く無い”ので…。朝、師匠の家に行って掃除して、それから寄席に行って、寄席でずっと働いて、終わってまた別の落語会に行って…」

「寄席は『前座が一定数以上いないと回らない』ので、『後輩が入ってこないと昇進できない』というのがありまして…。私、入って1年ぐらいで新型コロナが流行って、入門者が減ったので、ちょっと長かったですね、前座が。だいたい4年ぐらいなんですけど、私は6年やりました」

ちなみに、こんな苦労もあるようです。

(三遊亭萬都さん)
「やっぱり、こればっかりは…、(落語は)『江戸弁』ですので、染み付いた土佐弁がたまに出ますね。『二ツ目』以上になって、『(土佐弁を)意識的に出すのはOK』で、意外と自由なんですけど、私は江戸の『古典落語』をやっていますので、師匠に厳しく直されています…」

「二ツ目」に昇進すると雑用はなくなりますが、落語を喋る場=「高座」の数が減り、“自分で仕事を探す”必要があります。

「喋り」でお金をもらう、本当の意味での「落語家のスタート」。そんな萬都さんが、いま、この時代だからこそ伝えたい「落語の魅力」があるといいます。

(三遊亭萬都さん)
「いま、なかなか、『話芸』という芸能がなくて、テレビやYouTubeの時代ですので、『言葉だけを聞いて思い描く』芸能が無いと思うんです。『あっつあん』とか『ご隠居』とか言って、これ、僕がただ、右・左を向いて喋っているだけなんですけど、お客さんの方で登場人物・時代背景を思い描いていって成立する。これ、『お客さんが、半分は落語の世界を作っている』ようなもので、その『共同作業』で作っていく芸能はおもしろいと思います」

(高知の人たちへのメッセージ)
「二ツ目に昇進させていただきます。これで、自分が学んだ落語を高知の皆さんにも聞いてもらえる、また、落語会で東京の落語家を連れてきて皆さんに聞いてもらえる。そうやって、僕が大好きな落語を地元の皆さんにも楽しんでもらいたいと思っています。頑張って活動していきますので、よろしくお願いいたします」

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