小結・大の里 わずか7場所で史上最速優勝!「絶対自慢しない」「授業中は豪快いびき」同級生明かす素顔と“一方通行の恋”

優勝して天皇賜杯を受け取る大の里(写真・JMPA)

「優勝しても喜ぶな」

阿炎を押し出し、ひと呼吸すると、勝利を噛み締めるように二度頷く。親方の言いつけをしっかり守る男がいた。

先の大相撲五月場所、12勝3敗で初優勝を果たした新小結・大の里。まだ大銀杏すら結えない彼だが、付け出しから7場所めと、最短での優勝となれば当然だろう。

身長192センチ、体重181キロと堂々たる体躯。彼が相撲を始めたのは、小学1年生のころ。石川県河北郡にあり、父親が自らまわしをつけて指導する「津幡町少年相撲教室」で研鑚を積んだ。中学は、相撲が盛んな新潟県の糸魚川市立能生中学校に相撲留学した。当時の同級生たちが、素の大の里を語ってくれた。

「ニックネームはナカダイ。本名が中村泰輝なんですが、同級生に『ダイキ』が何人もいたんで区別するため。ナカダイは、ひょうきん者で周囲を笑わせるのが大好きでした」(中学同級生女性)

そんな“お笑い横綱”には鉄板のネタがあったとか。

「先生から『コラ!』と怒られると、『すみません』と言ってすぐに反省するんです。でも、あの巨体を小さく丸めて、見たことのない真面目な顔をして謝るので、その姿が滑稽でみんな思わず笑ってしまうんです(笑)」(中学同級生男性)

どこにでもいるようなクラスのお調子者だが、中学3年にして身長188センチ、体重100キロ超にまで成長。当然、相撲は強かった。

「当時から相撲の実績は、周知の事実でした。『白鵬杯』で優勝したときは、学校全体が盛り上がったほど。でも、本人の口から自慢することは一度もなかった。相撲に関しては、とにかく謙虚でしたね。ただ、相撲の稽古を頑張りすぎていたのか、授業中は居眠りしていた記憶しかありません(笑)。時々豪快ないびきをかくので、先生に叩き起こされていました」(同前)

中学を卒業し、新潟県立海洋高校に進学。高校でも、相撲中心の生活は変わらない。

「相撲部の生徒は学校から2.5キロ離れた旅館に下宿していて、徒歩で通っていました。しかも朝練もある。だから、授業中は疲れて寝てしまうんです。昼ご飯になると、白米と揚げ物がパンパンに詰まった大きなタッパー2つを平らげていました。今思い返すと、当時から相撲一本で生きるんだという覚悟があったのでしょう。高校生になっても、誰とでも分け隔てなく接する優しいヤツでした」(中学・高校同級生男性)

中高を通じてクラスの人気者だったナカダイ。地元ではかなりの有名人だったはずだが、ひとつやふたつ浮いた話もあったのだろうか…。

「相撲部はみんな全然モテなかったですね(笑)。でも、好きなコはいたと思いますよ。よく集まって『あのコはかわいい』とか言って盛り上がっていましたから」(同前)

“一方通行の恋”とは、ちょっぴりほろ苦い青春時代だが、相撲に打ち込んだ努力は裏切らない。偉業を達成してもなお、まだ23歳。

「大の里は角界のスターにと期待されています。大関昇進は時間の問題でしょう。昇進の目安は三役で3場所33勝以上。彼の場合は先場所を含めて、七月場所、九月場所の成績が昇進を左右します。連続優勝となれば、現実味を帯びてきます」(相撲担当記者)

大の里は、なぜそこまで期待されているのか。

「現在、唯一の横綱・照ノ富士は膝の怪我でいつ引退してもおかしくない。大関陣の不甲斐なさも目に余ります。それでも、客入りはまずまずですが、じつは外国人観光客が大幅に増えているだけ。だから、協会はなんとしても大の里を大関、そして横綱にしたい。五月場所前、未成年力士との飲酒が問題になりましたが、厳重注意処分だけの大甘裁定。それだけ彼が大事なんですよ」(同前)

“お笑い横綱”まずは大関獲りに挑む。

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