左脚切断を決断した河合紫乃さん(32) かつて打ち込んだバドミントンでパラリンピック出場目指し 富山

富山市出身の車いすフェンシング日本代表、河合紫乃さん。左脚に障がいを抱えて8年。今の自分と向き合えるようになったという河合さんが、大舞台・パラリンピックでメダルを取るために決断したのは左脚の切断でした。

5月29日。富山駅の新幹線改札口から出てきた車いすの女性。

河合さん:「お願いします」

富山市出身の河合紫乃さん32歳です。

河合さん:「時差ボケが…帰国して2日目なんで…まだボケていますね」

河合さんは世界各国を転戦する車いすフェンシングの日本代表選手。さらに…障がいを抱えていても戦う自分の姿を多くの人に知ってもらいとモデルとしても活動しています。

アスリートとモデル、二足のわらじを履く河合さん。そんな河合さんの最大の目標は。

河合さん:「パラリンピック出場してメダルをとるっていう目標はずっと変わらないかなって思っているので、私が障がい者になって、ここまで戻ってきた。障がい者になって良かったなって思えるように、そして誰かに何かを与えられる人なれればいいかなって。それが一番なので」

高い世界の壁 下した決断は…

5月23日、ブラジルで行なわれたパリ大会の最終予選。河合さんは決勝トーナメントには進んだものの世界の壁に阻まれ1回戦で敗退。

最終の世界ランキングは17位と出場圏内の8位以内に惜しくも届かず、パリ大会の出場を逃しました。

最終予選を終えて帰国した河合さん。
この日、あることを打ち明けてくれました。

河合さん:「自分の左脚を切断することが決まって、それはこの病気のせいで切断するんですけど、そうなるともう一回バドミントンに挑戦することができるし、あとは自分の心の中でも変わって、バドミントンしたい。いままではしたくないだったけど、それがしたいに変わって、私の分岐点なのかなって思ったので、もう1回挑戦したいと思いました」

突然襲った病 ”誰かの脚”が付けられている感覚

実は、もともとバドミントン選手だった河合さん。

大学時代には学生日本一を2度も経験し、実業団選手として競技を続けましたが2年目の2015年12月。歩けないほどの股関節の痛みに襲われました。

4度にわたり手術を受け、1年4か月に及ぶ入院生活を送りましたが、状態は改善されず、手術の後遺症で左脚に麻痺が残ってしまいました。

それ以降、左脚の感覚がほとんどなくなり車いす生活を余儀なくされました。

河合さん:「やっぱり一番ショックだったのが、火傷しても分からない。温度がよく分からない。自分の脚がついていないというか。自分のだけど誰かの脚がずっと付けられているイメージ」

心にも大きな傷を負い、自宅に引きこもりました。

河合さん:「私は病気を受け入れられなくて、誰にも理解されなくて2年ぐらいうつ病だったんですけど。すごく苦しかった。誰ともしゃべれなかったし。笑うこともできなかった。だけど私はそこから抜け出したかった」

障がいを背負った自分と向き合うために

そんなどん底でもスポーツをやっていたころのあの感情が心の中でくすぶっていたという河合さん。

自分らしさを取り戻すため再びスポーツを始めることを決意しました。ただ、周囲の予想に反して選んだのは車いすフェンシングでした。

河合さん:「私は、障がい者になったからパラバドミントンに行けばいいやってみんなに言われたんですけど、私の中では行きたくなかった。それは、やっぱり健常の時は出来たのに、障がい者になったらできないってことが分かっていたから、それだったら、もう新たな競技で一から挑戦して、違う競技で活躍したほうがどんなにかっこいいんだろうって(車いす)フェンシングに挑戦したんですけど」

2018年から車いすフェンシングを始め、わずか1年で日本代表に。

最初に目指した東京パラリンピックはあと一歩のところで出場を逃しましたが、諦めず追いかけ続けました。

河合さん:「結構きついです。こんな感じでいつも血豆とか破れて血がでてくる」

2度にわたりパラリンピックの過酷な予選大会を戦い抜くも、目標に届きませんでしたが、左脚に障がいを持った自分と向き合い続けた8年間は、今の自分を認められる大切な時間になりました。

メダルを取るため最善の選択を

そして新たな挑戦へ。

河合さん:「自分が何を目的にしているかっていったらパラリンピックでメダリストになること。それは競技はなんでもいいと思っているから、それだったらフェンシングに固執する必要もないし、(メダルを)取れる方を選べばいいのかなって思っているから」「自分に向き合えて、受け入れたからバドミントンに行きたいってなったのかなって」

目標のパラリンピックに出場しその先のメダル獲得へ。

河合さんが新たに挑戦するパラバドミントンは立ってプレーすることができない車いすカテゴリーと、義足などで立ってプレーすることができる立位カテゴリーに大きく分けられます。

河合さんは車いすの高度な操作が求められる車いすカテゴリーよりも、競技をしていた頃の感覚にも近い立位カテゴリーで挑戦したいと考えています。

河合さん:「実際に切ってみてどこまでできるかっていうのが分からないから、選択は2つあるっていう感じ。ただ、私の健常者目線で見る限り、義足でやった方が、結果が出る。これが答えです」

ロス五輪へ…新たな挑戦が始まる

パラリンピックに出場しメダルを獲得するために義足になることを選んだ河合さん。

今回の手術で河合さんは感覚がほとんどない左脚の付け根から下を切断する予定です。

河合さん:「本当に目で見て無くなるから体の4分の1が。だからまた違う感情にもなると思うし、また新しい葛藤も出てくるかもしれないし、だけど自分で選んだ道だから後悔はしないと思うし」「今まで以上に覚悟を持ってバドミントンに向かわなきゃいけないっていうのはすごく思っていて甘いもんでもないなって2028年も。だけど自分が挑戦できる限り挑戦していきたいかなって」

2028年のロサンゼルスパラリンピックを目指し、河合さんは6月9日、手術に挑みます。

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