インターハイ初出場の鵬学園。能登半島地震により学校が被災...困難な状況でも多くの人に勇気を「まずは自分たちが笑顔になろうって」

1999年から17年連続で選手権出場を果たすなど、星稜高の一強状態が続いていた石川県の高校サッカー界に風穴を開けているのが、七尾市にある私立の鵬学園高だ。

2016年に選手権初出場。2度目の出場となった2019年には京都橘高から金星を奪い、全国初白星も飾った。

昨年はMF永田貫太(藤枝MY FC)が、中京大経由でチーム史上初めてのプロ入り。DF鈴木樟(立正大)がU-17日本代表に選ばれるなど着実に強豪校への階段を登ってきたが、不思議とインターハイでの全国大会出場はなかった。

元日に発生した能登半島地震により学校が被災。サッカー部も困難な状態が続くなかで活動を続け、インターハイ予選ではトーナメントを勝ち上がってきた。

6月3日に行なわれた決勝で立ちはだかったのは、これまでの対戦で何度も苦汁をなめてきた星稜高。初出場が目の前に迫った緊張感もあり、この日も相手が試合開始とともに攻勢を仕掛けてくると分かっていても、受けに回り押し込まれる。

前半2分には左サイドで奪ったボールをGKに下げたところを相手に奪われ、先制点を献上。早々と劣勢を強いられたが、チームに焦りの色は見られない。

「選手に言っていたのは震災以上の苦しい想いはないということ。今日のミーティングでも1失点ぐらいどうでもいい、もっと苦しい想いをしてきたじゃないかと伝えていた」(赤地信彦監督)

そうした指揮官の暖かい言葉や全校生徒が駆け付けたスタンドからの声援もあって、選手はファイティングポーズを取り続ける。

「星稜に少しでも隙を見せたら絶対に失点しまう。絶対に隙を見せないでおこうと思っていた」

そう語るのは主将を務めるMF竹内孝誠(3年)だ。サイドを攻められ続けたが、バイタルエリアでは選手全員が身体を張ってシュートをブロック。こぼれ球を拾って素早く前方に展開し、徐々に自分たちのペースに持ち込んでいく。赤地監督は警戒していた相手のロングスローを2回はね返した際、「今日は行ける」と感じたという。

エンドが変わった後半は攻勢を強め、後半5分にMF能勢翼(3年)が同点弾。試合終了間際のアディショナルタイムには、MF和田陸(3年)とMF猪谷悠太(3年)が得点を重ね、3-1での逆転勝利を呼び込んだ。

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圧巻とも言える逆転劇は見ていた人たちが「感動した」、「鳥肌が立った」と思わず口にするほど。大勢の脳裏に刻まれる試合だったのは間違いない。

選手たちはこの試合、“笑顔”をキーワードにしていた。能登半島地震が発生してから、選手たちが話し合い「能登に笑顔を 支援に感謝」、「能登にエールを皆と共に」という言葉を掲げて、SNSで発信してきた。狙いについて竹内はこう話す。

「サッカーができることが当たり前ではないと今回の地震で分かった。まだ復興の目処が立たない地域もあるなか、自分たちは全力でサッカーをさせてもらっているので、普段支えてくださっている方々に感謝を伝えたい」

支えてくださった人たちを笑顔にするためには、まずは自分たちが楽しまなければいけない。「自分たちが楽しんで一生懸命頑張っていれば、その姿を見た能登の方たちに勇気を与えられると思った」と竹内が話せば、猪谷もこう続ける。

「能登に笑顔というテーマを掲げる中、自分たちが笑顔でないと見てくれている人も笑顔になれない。だから、まずは自分たちが笑顔になろうって。綺麗な形でなくても良いから、勝ちに行くサッカーをやろうと話していた」

鵬学園の選手たちは今も日常が取り戻せていない。試合当日も午前6時半頃に震度5強の地震が発生し、安否確認から1日が始まった。サッカー部の選手が暮らしていた男子寮は建物の地面が液状化し、再び大きな地震が起きれば崩壊の恐れがあるため、使用できない。被災後しばらくは自宅待機が続き、2月からは2か月近く富山県射水市の民宿で共同生活を送りながら、リモートでの授業とサッカーに励んできた。

4月からは校内にあった合宿所をリフォームし、七尾市での生活を再開させたが、二段ベッドを利用し、20人部屋での暮らし。コーチ陣も住居が甚大な被害を受けたため、和倉市から富山県氷見市に引っ越した。

練習もこれまで利用していた校内のグラウンドや和倉運動公園の人工芝グラウンドが使えないため、授業終わりに車で1時間近くかけて、かほく市のグラウンドまで通っている。それでも、猪谷は「練習時間が短いからこそ選手同士でこうしよう、ああしようと深く考えることができて良かった」と前を向く。

日常を取り戻すには莫大な時間と費用がかかる。この先もしばらくは困難な状況が続くが、それでも鵬学園の選手は笑顔でサッカーと向き合い、能登の象徴として多くの人に笑顔と勇気を与えていくだろう。

取材・文●森田将義

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