産婦人科医1年目の女性医師 アナウンサーや語学を活かした仕事より医師を選んだ理由

産婦人科医として活躍する山田千聖さん【写真提供:山田千聖】

かつては“男性社会”といわれた医療の世界。近年は女性医師も増えてきたといわれていますが、まだ全体の20%を超えるほどです。兵庫県出身の山田千聖(やまだ・ちさと)さんは医科大学を卒業後、2年間の研修医を経て今春から産婦人科医としての第一歩を歩み始めました。どのような思いで医師を目指すことになったのか、また医師となって目の当たりにした現実と悩み、その先に見据える夢についてお聞きしました。

◇ ◇ ◇

高校2年生で医師を目指すと決心

山田さんが初めて出産に立ち会ったのは、医師の卵として学んでいた大学時代でした。

「人って、ここまでもがき苦しみながら(子どもを)生むものなんだ、こんなに大変なんだ。衝撃と同時に、すごいことだと感動して、誕生する喜びを手伝いたいと思ったのです」

2022年に医科大学を卒業後、2年間の研修を終え、現在は都内の大学附属病院で産婦人科医師として日々、現場で多くを学んでいます。医師として充実した日々を送る山田さんですが、子どもの頃から医師を目指していたわけではありません。

小学校から高校まで兵庫県内の女子高校に通っていた山田さんは中学時代、英語弁論大会で全国大会に出場。中学校から高校時代にかけては「English Drama Club」の部活動で演劇に取り組みました。放送部の部長も務め、高校の先輩にフリーランスで活躍する女性アナウンサーがいたこともあって、漠然と「英語を活かした国際的な仕事か、アナウンサーのような仕事をしたい」と思っていたそうです。

しかし、人生の進路を考えたときに胸に去来したのは「人に感謝される仕事がしたい」「人と対話のできる仕事に就きたい」「女性が活躍できるところで働きたい」――という思いでした。その思いをすべて満たす職業を考えた結果が、医師だったといいます。

山田さんが通っていた高校は、1学年約120人のうち多くが推薦での進学を目指し、医学部を目指すのは5人程度。高校2年生で理系を選択したのは医学部を目指すと決めたからでしたが、「その時点でマイノリティでしたね」と笑います。それでもあえて狭き道を選んだのには、祖父の存在がありました。

習い事、部活動は辞めずに受験勉強と並行 祖父がロールモデルに

大阪で昨年まで外科と一般内科の開業医をしていた祖父こそ、山田さんの原点。

「患者さんと接している姿や、家にも電話がかかってきて感謝されたり、手紙が来たりするのを間近で見ていました。開業医なので、地域の人の役に立っているのもよくわかりました」

幼少期から習っているクラシックバレエとピアノ、部活動も続けながら「どうしても現役で合格する」と心に決め、必死に受験勉強に挑み、晴れて医学部への進学が決まりました。

とはいえ、医学部での6年間の学生生活は、入学してからも勉強が大変。「1科目でも落とせば進級できない緊張感もあります。遊びもしましたが、年に2度の試験は1か月半前くらいから一日中、机に向かっていました。そのあたりも、仕事以外ではゴルフやカメラなど趣味が多彩で、メリハリをつけていた祖父に影響されているかもしれません」と振り返ります。

今では同じ医師となったことを喜んでくれるという祖父。「私のロールモデル。今と治療法は変わっていますが、患者さんへの接し方とか通じるものは同じ。いろいろ教えてもらっています」と畏敬の念を持っています。

医療現場ではつらい現実を目にすることも

努力を重ね、進む道を切り拓いてきた山田さんですが、もちろん実際の医療現場で数々の現実に直面しています。研修医として各科を回っていた1年目、外科で出会ったのはひとりの大腸がん患者でした。

「飲食店をされている女性で、とても元気な方。私も『頑張りましょう、きっと良くなりますよ』と励まして、その方からも『山田先生のおかげで元気が出た』と言っていただいたんです」

ところが、すでに別の科に研修場所が移っていた翌年、その患者さんの再入院によって再会。

「あれだけ元気だったのに、げっそりしてしまっていて。転移もあったようでもう手術にも耐えられないし、長くは生きられないだろうという診断でした。そのときは『頑張ろう』でも『大丈夫ですよ』でもないし……。なんて声をかけたらいいのか」と言葉を詰まらせました。

生死の境に直面するつらさ、言葉選びの難しさなど、医師としてどう向き合うかを思い知らされたそうです。

また、産婦人科では流産する患者さんにも初めて接し、誕生の喜びだけではない現実を突きつけられます。

「その方は3度目の流産でした。赤ちゃんはすでに13週くらいで人の姿をしています。そもそも産婦人科医になったのは産む喜びを手伝いと思っていたから……。子宮から取り出すのは心苦しかったし、ショックで自分自身もダメージを受けました」と打ち明けます。

そうした一方、思いを抱いてきた子どもの誕生が喜びをもたらすエピソードも。あるとき対応したのは、離婚の危機にあった夫婦でした。

「仲の悪かったおふたりでしたが、目の前で赤ちゃんが生まれ、ご家族全員で喜ばれて『一緒に育てていこうね』と絆が生まれた瞬間だったんです。みなさん、それぞれにストーリーがあるのだと思いました」

また、最近は出産に立ち会う男性も増えていますが「出血に慣れていなのか青ざめてしまう方、気を失い倒れてしまう方も。でも女性からすれば、体をさするとか、声をかけるだけで力になる。出産は女性だけの問題ではないと感じます」と、男性のサポートの必要性を強く認識したそうです。

山田さんが選んだ産婦人科は、思っている以上に緊張を強いられるようです。最近も、当直勤務中に赤ちゃんの心拍が急に下がって戻らない超緊急事態が発生。産婦人科1年目なので、通常は第一助手を務められる立場ではなかったものの、緊急を要する場には先輩医師と山田さんしかいませんでした。

「(先輩医師が)2分で赤ちゃんを取り出すと決めて、無事に産まれました。もし判断を誤って、すぐに手術ができなかったら亡くなっていたかもしれません。それでも、とてもやりがいを感じました」と、出産が必ずしも安産ばかりではないという現実を目の当たりにした瞬間でした。

職場は約8割が女性医師 研鑽を重ねる日々に充実感

現在の職場は女性医師が約8割と多く、出産を経ての復職に際して障壁もないので、昔のような男女差を感じることはないそうです。もちろん、山田さん自身もひとりの女性として「いつかは子どもを産みたい」と思う一方、「今は仕事が楽しい」と日々の経験の積み重ねに充足感を得ています。

「生殖医療や不妊治療に興味がありますし、卵子凍結のことなど正しい知識を伝えていけたら」と、医師としての将来像を描く山田さん。

「女性として患者さんに寄り添える医師になりたい」

若き女性産婦人科医は、人の役に立ちたいという目標に向かって成長を続けています。

© 株式会社Creative2