伊予灘・伊号潜水艦沈没から80年 目撃した松山・興居島島民ら慰霊式

伊号第33潜水艦沈没事故の慰霊碑に白菊をささげる住民=13日午前、松山市泊町

 終戦前年の1944年に旧日本海軍「伊号第33潜水艦」が伊予灘で沈没し、愛媛県人を含む102人が亡くなった事故から13日で80年を迎えた。引き揚げた艦をえい航した松山市・興居島の御手洗海岸では、作業を目撃した島民ら12人が慰霊式を開催。高齢化で悲劇を証言できる人が減っていく中、平和を守るため「命ある限り記憶を語り継ぐ」と誓った。

 事故は午前8時40分ごろに発生。伊33潜は急速潜航訓練中に突然浸水し、水深61メートルの海底に沈んだ。修理時に艦上に残った木材が通風筒に挟まっていたのを見落とし、弁が開いたまま潜ったことが原因。艦内で見つかった遺書によると、潜航時間を短縮させる焦りもあったという。脱出して助かったのは2人。戦時中、事故は機密とされ、53年7月に引き揚げられた。

 島の有志が海岸に立つ慰霊碑の管理を続け、毎年慰霊式を行っている。碑の前の祭壇にはおこわやビワなど供物が並び、参列者は白菊をささげていた。

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