伝統つなぐ  大病乗り越えた父、理学療法士と鍛冶職人“二刀流”の息子 きょう父の日

父の和久さん(左)から技術を教わる拡大さん=長崎市蚊焼町、桑原鍛冶工房

 海沿いで穏やかな時間が流れる長崎市蚊焼町。かつては30ほどの鍛冶屋が軒を連ねた「刃物の町」だが、今はわずかしか残っていない。伝統の「蚊焼包丁」を作り続ける一つ、大正12(1923)年創業の桑原鍛冶工房。大病を乗り越えた父の背中を追いかけ、4代目の桑原拡大(こうだい)さん(28)が修業に励んでいる。

 甲子園を目指していた元高校球児の拡大さん。けがをした際、懸命にサポートしてくれた姿にあこがれ、理学療法士の道を歩み始めた。22歳の時だった。
 2年目の初夏。勤務中に母からの電話が鳴った。「お父さんが(出先で)倒れた」。父の和久さん(58)が脳梗塞を発症。蚊焼包丁の海外輸出など新たな挑戦を始めた矢先だった。「利き手の右手にまひが残る」。医師の言葉を聞き、拡大さんは医療従事者としてリハビリの大変さやつらさを想像できた。でも-。
 「お父さんは左手1本でも続ける。そんな予感がした」。近くで支えられるのは家族だけ。元々家業を継ぐつもりはなかったが、伝統を守ってきた父を助けるため、理学療法士と鍛冶職人の“二刀流”の道を目指す決断をした。
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 和久さんは半年後、工房に戻った。利き手にまひが残っても、職人を辞めようとは思わなかったという。「この仕事を取ったら何も残らん」。長い時間をかけて積み上げた経験、自信と誇りがあった。今は左手1本で包丁に向き合っている。
 拡大さんは包丁の出張販売から始め、工房で父の技術を見て学んでいった。「伝統をつなぐ」。その使命感が原動力だ。少しずつ技術を習得し、11ある作業工程のうち三つを任されるまでに成長した。
 拡大さんから家業を継ぐと聞いた時「素直にうれしかった」と明かす和久さん。「息子の姿が勉強になることもある。これからどう成長するのか、わくわくしている」と声を弾ませる。近年は体験活動のニーズが高いことから、工房で包丁作り体験を始めた。交流サイト(SNS)で蚊焼包丁の魅力発信にも力を入れている。いずれも拡大さんのアイデアだ。
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 切磋琢磨(せっさたくま)し、支え合う2人。実は、昔からそんな関係だったわけではない、という。拡大さんが幼いころ、和久さんは毎日仕事に明け暮れていた。会話は多くはなく「厳しい父」だった。今の関係になったのは一緒に工房に立ち始めてから。拡大さんは病院勤務を続けながら、週に数回、父と同じ時間を共有し、会話を重ねる。「今が幸せ。家族が笑顔でいるのはお父さんのおかげ」。そう語る拡大さんの笑顔はまぶしい。
 和久さんも「幸せ」だと笑う。2人の娘を育てる拡大さんへ、父として、師匠として、飾らない言葉でまっすぐな思いを贈る。「優しい父親に、お客さんの気持ちが分かる職人になってほしいね」。きょうは父の日。

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