「全員トロフィーに触らせてあげたい」 全米2勝目でデシャンボーが表現した“ヒーロー”そして“ファン”への思い【舩越園子コラム】

全米オープン2勝目を挙げたブライソン・デシャンボーが込めた思い(撮影:GettyImages)

全米オープン最終日。72ホール目で1メートルのパーパットを沈めたブライソン・デシャンボーは、天を仰ぐような姿勢で両手の拳を強く握り締め、勝利の雄叫びを上げた。そして、キャップを取り、バックベルトにつけていた故ペイン・スチュワートのバッジを見せながら、「ここにペインがいてくれたおかげだ!」「信じられない!」と興奮の声をあげ続けていた。

2位に3打差の単独首位で迎えた最終日は、しかしデシャンボーの独走とはならず、ローリー・マキロイの追撃を受けて、厳しい戦いになった。マキロイが安定してフェアウェイを捉えていたのに対し、デシャンボーのティショットは砂地に雑草が生い茂るネイティブエリアにしばしばつかまって、苦戦を強いられた。12番ではボギーを喫し、ついに2位へ後退。「でも、ギャラリーの『ブライソン、ブライソン!』という声援に背中を押してもらった」。

13番でバーディを奪い返すも15番は3パットして再びボギー。デシャンボーが一進一退しつつ、耐えるゴルフを続けていた一方で、13番のバーディで単独首位に立ったマキロイは、その途端に何かが狂い始め、上がり4ホールで3ボギーを喫し、自滅気味に2位へ後退した。

1打リードで迎えたデシャンボーの最終ホールは、ティショットが大きく左に曲がり、2打目はグリーン右サイドのバンカーへ。最後の最後まで苦しい展開だったが、バンカーからピン1メートルに付けて小さくガッツポーズを取ると、パーパットを沈めて、今度は激しくガッツポーズ。勝利の味を噛み締めた。

「最後のバンカーショットとパーセーブは生涯忘れない。ついに夢が叶った」

デシャンボーが、その「夢」を抱いたのは高校生のときだった。SMU(サザン・メソディスト大学)を学校訪問した際、大好きだったペイン・スチュワートが卒業生だったことを初めて知って、入学を即決。「ペインのような選手になりたい」「ペインのように勝ちたい」と願いながら腕を磨いた。2016年のプロ転向後は、かつてのスチュワートとそっくりのハンチング帽を被って試合に臨んでいた。

今年の全米オープンの舞台、パインハーストは、1999年大会でスチュワートが72ホール目に4.5メートルのクラッチパットを沈め、1打差で勝利した場所である。スチュワートは、あの勝利からわずか4カ月後に飛行機事故でこの世を去ってしまったが、デシャンボーの心の中では生き続け、「ペインと同じ場所で勝利したい」「ペインのようにエンタテイナーとなって人々を楽しませ、ゴルフというゲームを盛り上げていきたい」と願いながら戦った。さらに数年前に他界した父親に「雄姿を見せたい」という想いもあった。

優勝争いの真っ只中でも、ロープ際の大勢のファンとグータッチを交わし、ギャラリースタンドの方を向きながらガッツポーズを取った。そんなデシャンボーにパインハーストの大観衆は大きな拍手と歓声を送り、いつしかデシャンボーとギャラリーは呼応し合い、一体化していた。

振り返れば、プロ転向から数年間は、デシャンボーはルール違反とスロープレーの常習者のように見られていた。手にしていたパターがルール不適合と言い渡され、パッティングスタイルも、ピンの方向を知るためのコンパス使用も「ルール違反なのでは?」と、たびたび物議を醸した。

こうした「問題」を最終的にデシャンボーに伝えたのは、USGAやPGAツアーのルール委員だったが、「あれは違反なのでは?」などと最初に指摘した人物は、他選手だったこともあれば、メディア関係者やTV視聴者、一般のゴルフファンだったこともあった。

それでもデシャンボーは、周囲に存在する人々を部外者だとは決して思わず、ギャラリーやゴルフファンは「ゴルフというゲームの一部」「何より大切」と考えてきた。彼のその姿勢、その気持ちが、スチュワートの魂が宿るパインハーストの大観衆に伝わったのだろう。だからこそ、大観衆はデシャンボーに温かい声援を送り続けたのだろう。

サンデーアフタヌーンの接戦を勝ち抜くことができたのは「みんなの応援のおかげだ。サポートをありがとう」と感謝したデシャンボーは、さらにこんな言葉を付け加えた。

「今夜、どうにかして、ここにいるみんなに優勝トロフィーを触らせてあげたい。一緒にこのトロフィーの感触を味わってほしい」

2020年に続く全米オープン2度目の制覇。世界中のゴルフファンは、実際にトロフィーを触らずとも、デシャンボーの喜びをともに噛み締め、彼と一緒に優勝トロフィーを触った気分を味わったのではないだろうか。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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