「やっとひとつできました」たどり着いた“最後”の絵 23歳で急逝した女性画家・大崎真理子さんの生涯【高知発】

京都市立芸術大学に在学中、学内の最高位である「京都市長賞」を受賞。大学を首席で卒業した高知・土佐市出身の画家・大崎真理子さん。彼女は23歳という若さでこの世を去った。まっすぐに絵と向き合う日々を送った大崎さんの生涯を追った。

「とにかく色彩が強烈」

高知・土佐市の国道56号線を淡いタッチで描いた油絵「56号線が見える」。ぐにゃりとうねった道路に、自動車が写実的に描かれている現実と空想が入り交じった不思議な絵だ。

この絵を描いたのは23歳で亡くなった土佐市出身の女性画家だ。

2018年4月に京都市立芸術大学で撮影された動画には、大学院で絵を学ぶ2人が無邪気に踊る姿が映っている。このうち片方の女性は今はもうこの世にいない。この動画を撮影した4日後に亡くなった。

土佐市出身の画家・大崎真理子さんは23歳で亡くなった。ダンスの動画を一緒に撮影した花田洋子さんは「(真理子が)亡くなってからずっと見られなかったですね」と心境を語った。

大崎真理子さんは1994年11月土佐市生まれ。3人家族で幼少期は東京で暮らし、小学2年の時、両親の故郷である高知県に移った。土佐市立高岡中学校から高知学芸高校に進学し、京都市立芸術大学を首席で卒業したが、大学院1年の冬、真理子さんは京都の自宅で突然亡くなってしまった。

高校時代の恩師・平田慎一さんは、真理子さんに抱いた印象について「木をね、真っ赤な色で描いてきたがですよ。本当に自由奔放になにか描いてきたというのが最初の印象でしたね。とにかく色彩がね、強烈やった」と記憶しているという。

首席で大学卒業も突然絵が描けなく…

平田さんが強烈な色彩だったと話すその絵は、今も母校・高知学芸高校に残されている。美術部の部員たちが案内してくれた。美術部員は「色の使い方がすてきで、木も茶色で描いちゃいそうだけど黄色とか緑とか使ってて」と話す。

部員たちが「ハンガーの絵」と呼ぶその作品は真理子さんが高校2年の時の油絵で、自宅の庭先の木にハンガーがかかる様子を大胆な色彩で描いている。

京都市立芸術大学に進んだ真理子さんはすぐに頭角を現した。真理子さんが大学4年の時に描いた縦2.5メートル、横4メートルという巨大な絵。

「見えるものと見えないもの」と名付けられたこの作品で、彼女は学内の最高位である「京都市長賞」を受賞。大学を首席で卒業した。

この作品について真理子さんは「ノヴァーリスの詩の一節《すべての見えるものは見えないものにさわっている》私の絵画の核はそこにあります」とSNSに投稿をしている。この「見えるものと見えないもの」という言葉は真理子さんが追求し続ける大きなテーマになる。

この絵が高く評価された彼女は大学を卒業し大学院に進んだところで、なぜか突然絵が描けなくなってしまった。

京都市立芸術大学・法貴信也教授は「4回生でたぶん本人が思っている以上にその作品が評価されたことで、どうしていいのかわからないっていう時期が大学院に入ってから3カ月ぐらい続きまして、本当に燃え尽きたみたいになってたんですけれど、ある時に『先生、これやったら私、描けるみたいな気がする』みたいなことで、小さい水彩の絵を持ってきたんです」と当時を振り返る。

真理子さんが持ってきたのは京都の桂川のほとりで見つけた1台のショベルカー、ユンボのスケッチだった。高い評価を受けたプレッシャーから突然絵が描けなくなった真理子さん。ユンボの絵をひたすら描く日々が始まった。スケッチや試作などを含めるとその数は200点以上にのぼった。

たどり着いた絵「あの日のユンボ」

土佐市にある真理子さんの実家の離れには真理子さんの絵がたくさん眠っている。何枚もあるユンボの絵は数カ月にわたって描き続けた試作の一部だ。

母・文子さんは真理子さんが亡くなった時のことを鮮明に記憶している。真理子さんが亡くなる前日のことを文子さんは「(真理子が亡くなる)前の晩は、次の日が主人が休みの日だったんで、ちょっと電話してみようかって、電話したら、(真理子は)ぐっすり13時間眠ってたって」と語った。

2018年2月8日、ユンボの絵を発表する大学院の成果展初日に母の携帯電話が鳴った。警察からだった。

当時のことを文子さんは「主人はなかなか信じられなくて。(成果展なのに)真理ちゃんが遅い、遅いって、時間に来ないっていうんで、(仲間が)マンションに押しかけた」と振り返る。

真理子さんは自宅マンションの浴槽で亡くなっていた。文子さんは「“ひきつけ”がお風呂の中で起こったんじゃないかって。(風呂の)水位は低くても、横になってたから溺れたんじゃないかって」と話す。

真理子さんが亡くなっていた浴槽の水は深さが二十数cmだったという。死亡原因は結局不明だったが、溺死とも受け止められる状況だった。

描けなくなった時期を乗り越え、多くの試作を繰り返した真理子さんが、ようやくたどり着いた一枚の絵には「あの日のユンボ」というタイトルが付けられた。

絵が完成した時、彼女はSNSに「やっとひとつできました」と書き残している。気力のすべてを注ぎ込んだ作品「あの日のユンボ」。23歳という若さでこの世を去った画家・大崎真理子さんの生涯はただまっすぐに絵と向き合う日々だった。

(※大崎の崎はタツサキ)

(高知さんさんテレビ)

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