(後編)住民を巻き込んだ沖縄戦 司令官の孫は沖縄戦と向き合い続ける【#あなたの623】

(から続く)

牛島満が残した辞世の句は、削除を求める声があがるが、沖縄の陸上自衛隊第15旅団のホームページには今も掲載されたままだ。

▽沖縄戦を指揮した第32軍司令官牛島満中将の孫・牛島貞満さん
「沖縄戦で生涯を全うできなかった若者たちが、皇国(みくに)の春に蘇ってほしい」「天皇主権の国家が存続をして、やっと戦争が終わる。そういうときに、この亡くなった島の若者たちが蘇ってほしい」

貞満さんは、祖父が詠んだ辞世の句の掲載について、その是非はコメントしないとしたうえで、自らの考えを語ってくれた。

「句の意味がどういう意味かってことをもっと考えていただければ、おのずから結論はでてくるんじゃないかなと思う」

「(沖縄が)本土防衛のための礎になるという風なものの考え方をもって、世界情勢や周りを見ない、見えなかったことが、結局は南部撤退を決定していくことにつながる、あるいは<最後まで敢闘しー>の命令を出すことにつながっていくんだろうという風に思います」

▽牛島貞満さん
「お話をお伺いしていいですか?東京から来ている牛島と申します。実は牛島満の孫なんですよ」

▽家族で平和の礎を訪れた女性
「中将の?」

沖縄戦を伝え続けるため、自ら取材も行う。

▽家族で平和の礎を訪れた女性 「この日はすごく暑くて、みんなのどが乾いたとなったらしいんですよ、それで 母からは、いつも水だけはお供えするようにと」

▽牛島貞満さん
「祖父の命日もよくわからないんですよ。23日じゃないんですよ。実はね。だけど、兵隊として動員されたり、住民の方たちの亡くなった日付もよくわからない」 「(戦争に)駆り出した側の責任っていうのはすごく重たいと思う」

「私は祖父の戦争責任に対して、それを償うという義務はないと思い、あるいは責任はないと思ってるんですね。ただ、祖父を通して沖縄戦についていろいろ調べて、あるいは沖縄戦の研究者や住民の方々から、あるいは一般兵士の方からたくさんのことを教えていただいたので、そのことを次の世代に伝えるということが、私としては一番大事なことかな、使命かなというふうに考えています」

祖父の決断の背景にあったものは何なのか。なぜ多くの住民が犠牲とならなければいけなかったのか。貞満さんの沖縄戦への探求はこれからも続く。

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牛島貞満さんは沖縄だけでなく、これから修学旅行で沖縄へ行くという県外の学校でも沖縄戦についての特別授業をしていて、今では1年じゅう沖縄と、そして祖父と向き合い続けている。また、祖父が「南部撤退」という重要な決断を下した第32軍司令部壕の保存・公開の必要性も訴えていて、来年2025年、その一部が公開されることにも期待を寄せている。(平田俊一)

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