校舎は全壊、女子生徒は泣きじゃくり…福井地震発生から76年、当時の新米先生が見た震災の記憶

地震で倒壊した大石小校舎(1999年発行「福井震災 語り継ぐわが町の記録」より転載)
柴田さんが休み時間に撮影した大石小テント教室の児童たち(1999年発行「福井震災 語り継ぐわが町の記録」より転載)
新任教員時代に撮影した福井地震発生後の大石小の写真を眺めながら語る柴田さん=福井県越前市桧尾谷町の法雲寺

 3700人以上が犠牲となった1948(昭和23)年の福井地震から6月28日で76年となった。柴田英俊さん(96)=福井県越前市=は、当時務めていた大石小学校(現坂井市春江町)で「爆弾かと思った」というすさまじい衝撃に遭った。震源は現在の同市丸岡町付近。校舎は全壊した。「後の世代に伝えなければいけない」。写真に収めたのは、テントの仮設教室で懸命に学ぶ子どもたちだった。授業中の真剣な表情、休み時間の屈託のない笑顔に「励まされた」。懸命に生きる子どもたちの姿は未来への希望だった。

 旧福井師範学校を卒業し、20歳で教員としての第一歩を踏み出したばかりだった。授業が終わって児童を帰らせ、普段寝泊まりしている宿直室でうたた寝していた。

 午後5時13分(当時はサマータイムで現在の同4時13分)、突き上げるような大きな揺れに飛び起きた。窓から外に出たが、立っていられなかった。周りの民家は土ぼこりを上げてつぶれ、校舎もみるみるうちに崩れていく。併設の中学校の女子生徒は、教員にすがって泣きじゃくっていた。幸い、校内でけが人はいなかった。

 柴田さんの専門は理科。子どもたちが使っていたバレーボールが、どれもでこぼこに変形していたのを鮮明に覚えている。「今思えば、気圧の変化だったのだろうか」

 翌日から学校は休みになったが、教員になりたてで何をしていいか分からなかった。ただ「この光景を記録に残さないといけない」と思い、近所の写真館でカメラを借りた。写真は学生時代からの趣味だった。つぶれた1階の上に2階が重なり合う校舎をさまざまな方向から撮った。

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 数カ月後に進駐軍から届いたテントの下で、子どもたちと一緒に校舎から机を運び出して授業を始めた。全国各地や米国から励ましの手紙が届き、児童に返事を書いてもらった。「子どもたちが喜び、元気になっていくことが本当にうれしかった。(教員を)辞めたいとは一度も思わなかった」

 子どもたちの気持ちを明るくしようと、豊原寺跡(現坂井市丸岡町)への全校遠足を教員たちで企画した。卒業が迫る6年生には記念の文集を作り、改修途中の講堂で卒業式を行った。初めて送り出す子どもたちへ「立派な大人になってほしい、と強く思った」。35年の教員生活を振り返ると、被災した子も、そうでない子にも、それは変わらない願いだった。

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