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来年、開催される大阪・関西万博を前に、蹴球放浪家・後藤健生は、ある思い出がよみがえった。万博の会場に、黒豹の呼び名で親しまれたポルトガルの英雄エウゼビオが降り立ったことがあるのだ。そうしたサプライズがあれば、来年の万博も盛り上がること間違いなしだが…。
■日本で唯一の「本格的サッカー場」
神戸の中央球技場は1970年に神戸の御崎公園に完成したばかりの日本初の本格的な球技専用競技場でした。バックスタンドやゴール裏は立ち見席でしたが、ピッチの四隅に照明塔が立っているあたりも、どこか本場ヨーロッパのサッカー場に似ていました。
東京には、まだ西が丘サッカー場も完成していませんでしたから、日本で唯一の本格的なサッカー場。それも見てみたかったのです(同球技場は、その後2002年の日韓ワールドカップを前に全面改築されて御崎公園球技場=ノエビアスタジアムとなりました)。
そこで、僕はまず大阪で万博を見てから、神戸でベンフィカ戦を見るという計画を立てました。
万博会場では、当然、お目当ての「月の石」を見に行きました。アメリカ館の前には長蛇の列。たぶん、1時間半くらい行列に並んだと思います。
■ポルトガル館での「サプライズ」
そして、残りの時間は行列なしで入れるパビリオンを回りました。
イタリア館に行ってみたら、この年にワールドカップで準優勝したイタリア代表関連の展示もありました(どういうわけか、優勝したブラジル館には行った記憶がありません)。
また、これも行列なしで入れたベルギー館のレストランで食事をしました。鶏肉料理を注文したのですが、ナイフとフォークを使って鶏をさばくのに、かなり苦労した記憶があります。なにしろ1970年当時、一般庶民がナイフとフォークで食事をする機会など滅多にありませんでしたし、本格的なワインを飲む機会もありませんでした(あ、僕は高校生でしたから、もちろんアルコールなど絶対に飲んではいなかったのですが!)。
その後、僕はポルトガル館にも行ってみました。翌日にはベンフィカの試合を見るわけですから……。
そして、パビリオンの中を見ていたら、突然ホールが騒がしくなりました。行ってみると、なんとベンフィカの選手たちがやって来たのです。エウゼビオも、マリオ・コルーナもいます(マリオ・コルーナもモザンビーク出身の選手で、1966年ワールドカップでは代表キャプテン。後に独立後のモザンビーク代表監督や同国サッカー連盟会長、同国スポーツ相などを歴任)。
ベンフィカは、各選手の顔写真の絵葉書を配っていたので、それをもらってサインもしてもらいました。
■16年後の「メキシコW杯」での再会
さて、神戸での試合は3対0でベンフィカが完勝しました(ベンフィカは東京でも4対1、6対1で圧勝)。そして、神戸中央球技場はとても観戦しやすく、また、当時の日本では考えられないほど素晴らしい芝生が印象的でした。
それから16年後、メキシコでワールドカップが開かれたときのことです。
ある夜、僕はアディダス主催のレセプションに行ってみました。立食形式の会場でご馳走をいただいて一息ついていると、壁際にエウゼビオが一人で立っているのを見つけ、さっそく話しかけてみました(後に北米リーグでもプレーしたので、エウゼビオは流暢な英語を話しました)。
そして、「1970年の日本での試合は3試合とも見に行きましたよ」と言うと、エウゼビオは「そういえば、神戸の芝生はとてもきれいだったね」と懐かしそうにつぶやきました。それを聞いて、僕も「ああ、あの試合のことも覚えていてくれたんだ」と、ちょっと嬉しくなりました。