月刊誌「聖母の騎士」1000号 コルベ神父が長崎で発刊

91年の歴史「誇り」

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「聖母の騎士」1000号を手にする山口雅稔編集長=長崎市本河内2丁目、聖母の騎士社

 ポーランド出身のマキシミリアノ・コルベ神父(1894~1941年)が1930年5月に長崎市で発行を始めた日本語の月刊誌「聖母の騎士」が今年5月号で千号となった。キリスト教布教を目的にしていて戦時中は発行を止められたが、戦後に再刊し今日に至る。若い世代にも関心を持ってもらえるようウェブ上でも読めるようにすることを検討している。
 日本語の創刊号名は「無原罪の聖母の騎士」で、表紙に聖母マリアの絵を配している。発行する目的や、迫害を逃れ隠れていた信者が大浦天主堂で名乗り出た「信徒発見」などを14ページにわたって記載。A5判で現在と変わらない。発行所の聖母の騎士社によると、最初はカトリック長崎教区の教報の付録として作成、長崎市の藤木博英社で1万部印刷しポーランド人修道士たちが無料で配布した。長崎市に上陸して1カ月後だった。
 「無原罪の聖母の騎士」は、コルベ神父が反カトリックの活動をしていた団体に対抗するため17年に結成した組織に由来。神父は来日前、同名の小冊子をポーランドで発行していた。日本語版名は36年1月号から「聖母の騎士」になった。 41年にポーランドのアウシュビッツ強制収容所でほかの収容者の身代わりとなり処刑されたコルベ神父。36年5月に長崎から帰国するまで編集に関わり、6万部発行する時期もあった。40年12月軍部に発行を止められた。復刊した46年12月号からは永井隆博士の寄稿を亡くなるまで掲載。キリスト教を紹介する読み物を掲載したり、カトリックの価値観を伝えてきた。
 増ページした千号は、コルベ神父がどういう思いで「聖母の騎士」を発行したのか振り返り、読者から募集した「わたしと聖母の騎士」などの特集を組んだ。50年間編集に携わり、市内の病院のホスピス病棟に入っている小崎登明修道士(93)のメッセージを巻頭に配置。小崎さんは取材に「当時九州で6万部も出した雑誌は珍しかった。コルベ神父が世界情勢を伝えるコーナーが人気だったようだ。91年続いたのは大いに誇れる」と喜びを語った。
 現在1万部発行に携わる山口雅稔神父(49)はコルベ神父から数えて9代目の編集長。千号到達について「多くの人に支えられてきた。大変感謝している。雑誌に接して人生が変わる人もいる。これからも人間にとって変わらないもの、大切なものを伝えていきたい」と話した。

1930年5月に発行された日本語版「無原罪の聖母の騎士」第1号(聖コルベ記念館所蔵)