写真は語る 雲仙・普賢岳噴火災害<4> 噴煙驚かず日常化  元小学校教諭 山田スミコさん(82)=島原市北門町=

運動会の最中に舞い上がった噴煙。日常の光景なのか児童は平常心を保っている

 1992年9月27日、勤務先だった長崎県島原市立第三小の運動会は、澄み切った秋空の下で行われた。「6.3」から約1年3カ月。降灰も少なくなり、屋外で約2週間、十分に練習できたので胸をなで下ろしていた。一方、登下校時に義務付けられていたヘルメットの着用が守られなくなっていたので気掛かりでもあった。
 注目種目の1~6年100~200メートル決勝はゴールテープと写真撮影の係。その最中の9時20分ごろ、「ドーン」「ゴー」と爆発音が校庭に響き、青空にもくもくと噴煙が舞い上がった。写真はそのときの一枚。だが、震え上がっていたのは自分だけ。児童も保護者も駆けっこに夢中だった。
 噴火は当時「日常」となり、噴煙ではだれも驚かなくなっていた。運動会は5分間中断しただけで無事終了。後で聞いた話だが、この日は北東の風が吹き、降灰は約33キロ離れた長崎県南島原市口之津町まで到達していた。
 学生時代は理科を専攻。植物、地学の研究などでカメラを携えていた。19歳から週1回のペースで普賢岳に入り、四季折々の山や草花を撮影。噴火後も刻一刻と変化する活火山をカメラに収めた。産業技術総合研究所地質調査総合センター発行の地学専門誌「地質ニュース466号」(1993年)に写真と論文「地元住民の見た雲仙普賢岳1990年~」が掲載された。
 30年が過ぎた今も静寂の山を眺める。地球の活動周期と人生なんて単位が全く違う。「年々歳々。山相似たり。人々は同じからず」


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