【インタビュー・上】元九州大島原地震火山観測所長 太田一也さん 「悔やまれる 人的被害」 反省残る 報道陣への遠慮 雲仙・普賢岳大火砕流30年

噴火災害について語る太田さん

 雲仙・普賢岳噴火災害当時、九州大島原地震火山観測所(現在の九州大地震火山観測研究センター)の所長として、観測の中心的役割を果たした太田一也さん(86)=島原市、同大名誉教授=。刻一刻と変化する溶岩ドームの状況、今後の動き、市民を火山災害からどう守るのか…。地元島原に拠点を構える専門家の立場で各種行政機関に進言・助言する一方、全国から集まった報道機関の取材対応にも追われた。なぜ、43人の犠牲者を出してしまったのか。1991年6月3日の大火砕流惨事から30年の節目に、当時の思い、今の思いを聞いた。

 -気が遠くなるような火山の長い営みの中で、所長在任中に普賢岳から噴煙が上がった。
 1990年11月から始まった平成噴火は長期間に及び、桁違いに溶岩噴出量が多かった。有史後2回の記録では、雲仙の溶岩は静かに流れる性格だったが、平成噴火はそれとは違い、溶岩ドームを形成し、火砕流が頻発した。普賢岳にとっては、実に4千年ぶりの大噴火だった。溶岩ドームの生成自体は火山にとってごく自然な営みだが、社会的代償があまりにも大きかった。活火山の麓に住む人たちは、その営みを知り、共生を図らなければならない。
 噴火したときの火山観測者の使命は、火山現象を可能な限り克明に記録し、火山学の発展に寄与すること。それと同時に、人的被害の軽減に努めることだ。それで30年前、行政機関の危機管理に進言・助言をした。その記録と教訓を残すことも務めだと考えている。

 -専門家として噴火災害から学んだことは。
 専門家だけでは監視のマンパワーが足りなかった。観測機材の設置、ヘリコプターや装甲車からの観測-。多方面で自衛隊が有する施設装備力と人員に助けられた。充実した装備、類いまれな能力、次々と交代できる人員が整っている組織を活用することは、災害発生時にとても大切だと実感した。彼らはもっと感謝されるべきだ。
 自衛隊ヘリで上空から連日、噴火活動の状況を観測することができた。大学の火山学と自衛隊の能力を融合させた火山監視体制は画期的だった。その情報は行政機関やマスコミにも提供。行政機関にとって、避難勧告や警戒区域の設定・解除などを決める唯一の羅針盤になった。

雲仙・普賢岳の噴火活動で激しく損傷した普賢神社の拝殿と鳥居=1991年5月25日

 -報道関係者や消防団員ら43人の犠牲者が出た。
 私にとって最大の関心事。事前に避難勧告や警告を発していたのになぜ、という思いが今も脳裏から離れない。結果として、一部報道や危機管理の専門家から、当時所長だった私自身が火砕流の危険性を知らなかった、知っていてもパニックを恐れて周知しなかった、との批判を受けた。危険性は知っていたが、パニックと風評被害を恐れたことは確かだ。
 ただ、日に日に火砕流の規模が拡大していたため、前言を修正しながら危険性に関する警告を強めていた。当時の島原市長に避難勧告を提言し、実行もされた。ただ今となっては、もっと前面に出て、報道陣に直接警告すべきだったとの反省も残る。

 -なぜ大惨事になってしまったのか。
 行政機関に言えることとして、地元では火山噴火の経験がなく、希薄な防災意識と危機管理の未熟さが死者の発生を招いた。報道陣への遠慮も一因だ。私自身、避難勧告を提言し、繰り返し警告さえすれば安全が確保できると思い込んでいた。しかし、甘かった。
 報道機関を通じて危険性を発信し、それを徹底したつもりになっていたが、受け手側の防災意識が低ければ効果がないということが噴火災害で実証された。当時は気付かなかったが、行政、住民、報道機関を含め、危機管理の未熟さや防災意識の希薄さが根底にあったとの思いは消えない。それが悔やまれる。
 消防団員についても、一部報道機関の問題行動があったとはいえ、防災に従事する者としていったん避難していながら、北上木場町へ再び戻った。もっと慎重であるべきだった。

 -報道陣の取材行動、責任について。
 タクシー運転手4人を含めた報道関係の死者20人が、当時の撮影場所だった定点周辺にいた。消防団員は定点より400メートル下の北上木場農業研修所を活動拠点にしていたが、危険性の高まりから、5月29日、島原市災害対策本部を通じた私の退去要請を受けて300メートル下流の白谷公民館に退去していた。
 しかし、日本テレビの取材スタッフが、住民が避難して無人となった民家の電源を無断で使用する不祥事が発覚。消防団員は6月2日、留守宅の警備も兼ね、同研修所に戻ってしまった。亡くなった警察官2人についても、報道陣らに対する避難誘導のため定点に急行。戻る途中に同研修所前で火砕流にのみ込まれた。
 報道陣が避難勧告さえ守っていれば、少なくとも消防団と警察官は死なずに済んだはず。住民にも犠牲者が出たが、報道陣が避難勧告に従っていれば、危険を感じて無断入域を控えたと思う。


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