「IOCは解散」「2億円はどこへ」ラグビー元日本代表・平尾氏が〝東京五輪の闇〟を斬る

橋本聖子組織委会長は五輪開催への意欲を改めて示したが…(代表撮影)

このまま開催に突き進んでいいのか。東京五輪の開幕まで、残り50日を切った。国際オリンピック委員会(IOC)は緊急事態宣言下でも行う方針を示し、大会組織委員会の橋本聖子会長(56)も4日の定例会見で「100%の開催ができるように準備していく」と改めて明言した。新型コロナウイルス禍で多くの国民が不安を抱える中、かねて五輪のあり方に疑問を抱いてきた神戸親和女子大の教授で、ラグビー元日本代表の平尾剛氏(46)が緊急提言。強行開催によって生じる弊害とは――。

――以前から東京五輪に違和感を覚えていた

平尾氏(以下敬称略) コロナが流行する前の2017年から反対している。社会的に弱い立場にある人たちに負担をかけていることがその理由だ。シンガポールのコンサルタント会社「ブラックタイディングス社」に(東京五輪招致委員会がコンサル業務として)約2億3000万円を振り込んだ件の疑惑があやふやになったままなのもおかしい。

――現在は東京五輪の開催に否定的な声が多い

平尾 IOCはコロナ禍でも必ずやるという姿勢を崩さない。開催国への配慮もなく、国民の命も顧みない。ここまで露骨な態度にはあぜんとする。(日本側の説明も)筋が通っていないし、社会全体をきちんと見た上で物事を決めているとは思えない。大会組織委員会が看護師500人の確保を要請したことで一線を越えた。今、多くの医療従事者がコロナ対策の最前線で身を削っている。それが分かっていればこんな要請はできないはず。

――筋が通っていないと感じる点は

平尾 そもそも開催の目的が何なのかがはっきりしない。見込まれる経済効果も試算がずさんで、インバウンド需要が期待できなくなった今は絵に描いた餅となった。国民経済ではなく、関係者の利益を優先しているに過ぎない。「夢や感動を与える」「国民同士の絆を」とも言っているが、もしそれが目的なら今は開催する必要はない。夢や感動、絆は安定した生活を送ることができる平時において感じられるものである。

――スポーツの価値が下がってしまう

平尾 スポーツへの見方がどんどん厳しくなっている。あれだけ「お酒を提供するな」って言いながら、選手村ではお酒がOK。飲食店経営者は憤って当然だ。「結局スポーツだけ特別扱いなのか」という雰囲気が広がっている。このままスポーツの価値が下落すれば、将来スポーツをする人が減るだろう。子供たちは、親など周りにいる大人の声掛けや考え方に影響を受けて、スポーツや習い事を始めることがほとんど。スポーツに否定的な人が増えれば、おのずと子供のスポーツ離れは加速する。

――アスリートの発信も少ない

平尾 この期に及んでもスポーツ選手は自分の意見を発信していない。「なんでスポーツ選手は何も言わないのか」「これでいいと思っているのか」など、懐疑的なまなざしも増えている。社会全体が苦しんでいる状況なのに何も発言をしないというのは、スポーツ選手は「パフォーマンスしかできない」「社会に対して関心も持っていない」存在だということを、自ら認めることになる。このままだと、社会とスポーツが切り離されてしまう。

――アスリートが発信できない原因は

平尾 端的にいって知識と教養の不足だと思う。ただこれは選手個人の問題だけでなく「パフォーマンスさえ発揮すればいい」という指導をしてきたスポーツ界全体の構造的な問題でもある。「結果を出せばそれでいい」という勝利至上主義と、それを果たすための「シンプル思考主義」の帰結だろう。こうしたスポーツ教育を根本から見直す必要がある。

――五輪の姿を見直すべきか

平尾 いったん、止めてはどうか。マイナーチェンジだけでは抜本的な解決はできないと思う。IOCを解散し「参加することに意義がある」という理念に立ち返って、これまでとは違うまったく新しい大会を創設してはどうだろうか。

――東京五輪を中止するべきだと考えるか

平尾 もちろん中止にするべきだ。開催すればかなりの確率で感染者が増えることが予測される。再び緊急事態宣言を発出する事態にもなりかねない。宣言発出による経済的な損失は莫大だ。それと中止による損失を天秤にかければ、今からでも中止にしたほうが損失は少なくなる。社会にかかる負担が軽減されれば、国民一人ひとりの生活も回復傾向に転じるはずだ。もう一線は越えてしまった。対話すらできない現実をしっかり捉えた上で、再びスポーツの価値を一からつくっていかなければならない。

☆ひらお・つよし 1975年5月3日生まれ。大阪府出身。中学時代にラグビーを始め、同志社香里高、同志社大を経て、神戸製鋼に加入。1999年ラグビーW杯では、日本代表に選出された。しかし2005年ごろから脳震とうの後遺症に悩まされ、2年後に現役を退いた。自身のケガを機に、06年から神戸親和女子大学大学院の文学研究科修士課程教育学専攻で研究をスタート。現在は同大の発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科で教授を務めている。182センチ。

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