第21回 「逆を考えてみる」

その昔、小倉優子は「こりん星から来た」と言っていた。たしかいちごの馬車でやってきたりんごももか姫だったはずだ。 もちろん周りはそういうキャラ設定なのだと察し、あるときはからかったり、またあるときはなんとか設定の矛盾を導きだそうと意地悪な質問をしたりした。それでも彼女はこりん星の存在を主張し続けた。 ところが2009年の年末に突如「こりん星はない」と発言した。「こりん星は爆発しました」とのことだった。こりん星は宇宙の藻屑と化したのである。 なぜ小倉優子はこりん星の存在を否定したのだろうか? キャラを演じることが辛くなった、あるいはもう必要なくなったのか。また、年齢的なものもあるだろうし、年月とともに内面だって変化する。これらのうちのどれかかもしれないし、すべてをひっくるめた総合的な理由かもしれない。そもそも誰もこりん星があるなんて信じていなかったから、理由などなんでも良いのかもしれない。 とにかくもうこりん星はないのだ。 さて、ここで「逆」を考えてみる。 「実はこりん星はある」と頭を切り替えるのだ。 こりん星は実在する。 ではなぜ小倉優子は否定したのか? それはこりん星側の都合に違いない。 小倉優子が地球でこりん星について発言したことがこりん星にとって何らかの不都合があったのだ。公表してはいけないことまで言ってしまったのではないか。あるいはこりん星の偉い人の逆鱗に触れてしまったか。 そのため小倉優子に発言を控えるようこりん星から圧力がかかり、突然こりん星を否定することになったというわけだ。 こう考えると、小倉優子がこりん星を否定すればするほど何かを隠しているようで怪しく思えてくる。『焼肉小倉優子』はもう見つけられないかもしれないが、夜空を見上げればどこかにこりん星はあるはずなのだ。 このように「逆」を考えてみると別のドラマが生まれる。それは完全なる創作であるのだが、まるで隠された真実のように私たちを魅了する。 もしかしたらこの行為は生きていく上で必要ないことかもしれない。しかしたとえば中央線に乗って新宿から中野、高円寺くらいの時間は潰すことができる。 他にも「逆」を考えるとドラマが生まれそうなことはある。 『安心してください、穿いてますよ』 → 本当は穿いていないのではないか? 『デッカチャンだよ』 → 本当は別人なのではないか? 『ととのいました』 → 本当は何も思いついていないのではないか? 『パンケーキ食べたい』 → 本当は別のものが食べたいのではないか? これらを考えると、さらに西荻窪くらいまでの時間を潰すことができるだろう。

© 有限会社ルーフトップ