【加藤伸一連載コラム】3年目開幕前に不吉な“猫ソアラ事件”が発生

まさかの悲劇に遭った愛車のソアラ

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(23)】たかが1勝、されど1勝。入団2年目の1985年は1つの白星の大きさを痛感させられた年でもありました。

前半戦だけで8勝して球宴にも初出場しましたが、その夢舞台で右ヒジに違和感を覚えて以降は救援での登板が増え、白星から見放されること約2か月。9勝目をマークしたのは9月14日の日本ハム戦でした。

登板間隔を序盤の中4日から中5日以上に空けてもらっても状態は良くならず、先発では3連敗フィニッシュ。前半戦終了時に3・25だった防御率は4・09まで悪化してしまいました。それでもリーグ6位で、勝利数と投球回189回1/3はともにチーム3位。オフの契約更改では前年の460万円から740万円増の1200万円と大幅昇給を勝ち取りました。

プロ2年目での大台到達。真面目にサラリーマン一筋で働いてきた父の年収を超え、感慨深いものもありました。しかし9勝止まりだったことで僕は泣きを見ます。ずっと読んでいただいている方ならピンとくるはず。そう、入団時に球団と交わした「2年以内に2桁勝利を挙げたら500万円をボーナスとして支給する」との“サイドレター”に1勝足りなかったのです。

臨時収入を当て込んで400万円のソアラを購入していた僕にとっては大きな痛手。契約更改交渉の席では「何とかなりませんか」と主張してみましたが、期限を2年から3年に延ばしてもらうのが精一杯でした。

結論から言うと、そんな球団側の厚意も無駄になってしまいました。3年目も開幕ローテーション入りこそしましたが、右ヒジの状態が良くならず3勝止まり。前年の球宴期間中に金田正一さんから受けた“ワンポイントアドバイス”の影響もあったにせよ、倉吉北高時代に公式戦で3試合しか投げていない僕がプロで2年も先発、救援でフル回転したのですから、ヒジが悲鳴を上げたと考えるのが自然でしょう。

3年目の開幕前には、不吉な出来事もありました。愛車のソアラで出かけようとしたときのことです。エンジンをかけ、エアコンのスイッチをオンにすると、吹き出し口から異臭が漂ってきました。気になったのでガソリンスタンドでエンジンルームを点検してもらうと「どうやら猫がおったみたいですね」。店員さんによれば、ファンベルトにヒジから先が引っかかっている…と。

チームメートは「猫ソアラ」とからかってきましたが、僕にとっては深刻なことです。おはらいもしてもらいました。それでもヒジの状態が一向に良くならなかったのは、当時のトレーニング法やメンテナンスの仕方に問題があったからかもしれません。

☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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