旧友へ 伊東静雄の書簡発見 諫早出身の浪漫派詩人 遺族が寄贈

諫早市出身の浪漫派詩人で、昭和の詩壇を代表する一人として活躍した伊東静雄(1906~53年)が病に伏した晩年の51年6月、旧友に宛てた書簡2通が見つかった=同市立諫早図書館

 長崎県諫早市出身の浪漫派詩人、伊東静雄が病に伏した晩年、旧友に宛てた書簡2通が見つかった。保管していた遺族が今月、伊東静雄研究会を通じ、同市立諫早図書館に寄贈した。上村紀元会長(81)は「70年前の手紙が見つかったことに驚いている。病状が悪化していくことを覚悟しながら自身の生と死を見詰めた内容。文学仲間だけでなく周囲と親交を深めた人間味あふれる人柄、子煩悩で家族を大切にしていた伊東の姿が読み取れる」としている。

伊東静雄

 旧友は旧制佐賀高、京都帝大時代から親交があった大分県出身の木下昇(旧姓・日隈)氏=1992年、89歳で死去=。伊東が高校、大学を経て教員になったころまでの「伊東静雄日記」にも随所に登場する。最も多感な時期に人生や文学について議論を交わした間柄で、「文学だけでなく、伊東の人生全体に影響を与えた一人と言える」(上村会長)。
 伊東は49年に肺結核を発症し同年10月、大阪の病院に入院。病に伏してからの書簡の確認は数が少なく、木下氏宛ては初めて。木下氏の次女、安冨悠子さん(78)=さいたま市=が実家を整理中に見つけ、「きちんとしたところに託したい」と同会に連絡してきた。
 2通は51年6月12日付の便せん3枚と、同18日付の2枚で、いずれも伊東を見舞った木下氏への礼状。「今の医学では、小生の症状は一寸全治の見込はないさうで、(中略)ある程度の覚悟は出来つつあります」「かわいさうなのは妻君や子供らです」(12日付)、「病気が長びくにつれ人の情のうれしさは一層心にしみます」「高校一年のまきといふのは(中略)来るといつも宿題の相談相手をさせられます」(18日付)などと、病と向き合う一人の人間、家族を思う父親の心境がつづられている。
 伊東は体調が比較的良かったこの年、「倦(う)んだ病人」などの作品を残した。しかし秋口から再び悪化し、46歳でその生涯を閉じる。

学生服姿で写真に納まる伊東(左)と木下(当時は日隈)氏

 上村会長は「生きる気持ちが表れている『倦んだ病人』は木下氏の見舞いも影響していると思う」とし、「埋もれた手紙が今後、さらに見つかり、伊東文学の理解、継承につながることを期待したい」と話す。書簡にも記されている伊東の長女、坂東まきさん(85)=奈良市=は「一人の人間としての思いが熱く迫ってくる手紙。当時の父の胸の内が分かった」としのんだ。
 坂東さんは書簡発見を受け、学生服姿で納まった2人の写真を同研究会を通じて同図書館に寄贈。書簡と写真は同図書館で7月3、4日に開く「諫早としょかんフェスティバル」で一般公開する。
 伊東の書簡は佐賀高時代の恩師らに宛てた103通が、恩師の遺族によって2006年、諫早市に寄贈されている。研究会によると、書簡の確認はそれ以来という。

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