【動画】橋物語・橘神社の軍神橋 参拝者支え、神事見守る

旧陸軍の軍神、橘中佐をたたえる軍神橋=雲仙市千々石町

 長崎県雲仙市千々石町の橘神社は桜の名所として知られ、春には約800本が咲き誇る。神社の参道に架かるのが軍神橋。清流千々石川をまたぎ、長年、大勢の初詣客や花見客を文字通り、支えてきた。
 橋の名称は、旧陸軍で軍神とあがめられた橘周太中佐に由来する。1865年、南高千々石村(現在の千々石町)で出生。陸軍将校で東宮武官を務め、日露戦争に従軍した。
 歩兵第三四連隊第一大隊長に任じられたが、1904年8月に戦没。橘中佐の英霊をまつる機運が地元で高まり、35年、県庁内に「橘神社創建奉賛会」が発足した。全国に浄財を募り、38年に軍神橋が完成。40年には、名前を冠した橘神社も建立された。
 橋は長さ約25メートル、幅約8メートル。千々石町郷土誌によると、架橋は困難を極め、橋脚を用いずに両岸の橋台だけで橋桁を支える当時最新の工法が用いられた。開通当初は車両も通行できたが、現在はたもとに車止めの石柱が設けられている。架橋と参道整備には地元住民らが「勤労奉仕」。神社に残る写真には、土木作業に汗を流す住民や、視察に訪れた陸軍中将らの姿が映っている。
 千々石川では例年「寒中みそぎ」などの神事が執り行われる。今年6月30日の「夏越祓」。橘中佐のひ孫の橘昌樹宮司が、参拝者のけがれが託された「人形代」の紙を川に向かってまき、はらい清めた。「参拝客を支え、神事を見守ってきた。神社にとってかけがえのない存在」。橘宮司はそう言って、橋を見上げた。
 「参道の景色は素晴らしい。橋から見下ろすのもまたいい」。春の桜の美しさを誇らしく語るのは神社総代の町田岩太さん。"日本一のたいまつ武者行列"をうたう「観桜火宴」実行委の3代目委員長を務める。
 観桜火宴は、神社近くの釜蓋城跡にまつわる合戦を再現する戦国絵巻。神社の桜を広めようと97年に始まった。毎年3月下旬の夜、200人近くの鎧武者が「いやさか、おー」と郷土の繁栄を願う勝ちどきを上
げながら、千々石海岸から神社へと練り歩く。橋の上では鉄砲隊が火縄銃の空砲をとどろかせる。
 本来なら今春で25回目を数えたはずだったが、新型コロナ禍で2年連続中止。「火宴は郷土の歴史を引き継いでいく大切な行事で、軍神橋はその懸け橋」と町田さん。来年こそは橋の上で「いやさか」と気勢を上げたいと願っている。

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